横手山〜尻焼温泉

ガスの中でGPSが威力を発揮

2002年3月2日(土)〜3日(日)

●参加5人 岡安トキ(L。記録)、大坪敏郎(SL)、金井多計子、中館敏子、長坂末男

野反湖から赤石山の間が刈り払いされて歩きよくなったと聞き、1999年9月に歩いた。その後、ラ・ランドネ会友の直井さんから山スキーに良いゾーンだと、資料といっしょに教えていただいた。翌年10月、下見山行として5人で、横手山−大高山−馬止口を歩く。2001年も会山行として企画したが、天気図のあまりの悪さで中止に。今年やっとの実現だった。
3日朝、ヘリで救出される事故を起こし、小高山・大高山は割愛した。

2日(土) 曇りときどきガス
 前日朝着で志賀高原のゲレンデを一日滑った4人と今朝到着の中館さんは、横手山リフト前で合流。横手山山頂へ。標高2300m。いつもながら、ガスと烈風で南極を思わせる寒さ。日本一高い(標高と値段?)パン屋さんで行動食を調達する人、朝食を摂る人。支度して滑降コースを2050mまで滑り、シールをつけて山に入る。
 雪は締まって、ラッセルなし。とても歩きよい。雪山の美しさに酔うように小さな起伏を過ごすと、もう「方向が違う」と後ろから声。絶えず磁石を見なければ・・用心用心! 草津峠に滑り込む小山でシールをはずし、気分のいい潅木帯を滑っていく。
草津峠とおぼしき辺りから、ガスが濃くなる。鉢山東面を巻いて赤石山への稜線に入る辺りと憶測した岡安は先を行く大坪さんを呼ぶが、動じない。なんと、彼はGPSで入力したコースを見て進んでいるのだ。ここは脱帽!
何度も通った所だが、ガスの中では実際以上の距離を進んだつもりになるものだと、いまさらながら思う。ガラン谷に迷い込んで遭難伝説? が多々あるのも分かる。ガスの時、GPSがない場合は鉢山に登り、頂上から方位を確定して稜線に入ると良い。
 赤石山は、右に大きく巻いて楽に稜線に出る。が、辺りは広い針葉樹森。少し手前で稜線と思ったのだが、やはりGPSのおかげで訂正できた。赤石山の下り高差100mはシールのまま滑り、湯沢ノ頭へは三つほどのピークを全部巻く。
そろそろ今夜のテント場をと思いながら進むうち、トップの大坪さんが南東に進むべき尾根を東に進んでいるのを、違う! と女性3人がけん制。今度は磁石の勝ち。
GPSでは結果が出るのが、ある程度進んでからなのか? 今回の山行はガスの中、地形が複雑なので、みんなが地図読みにかかわり、とても心強かったし、各自も楽しかった筈。稜線を少し南に下りた風の当たらない格好の場所を長坂さんが探してくれて、幕営。森と会話するような静かな雰囲気のサイトだった。

3日(日) 快晴

 夜半、風にざわめく森の音でまどろんでいたが、今朝は無風快晴。稜線からは三角錐のダン沢ノ頭が目の前だ。ここは、稜線を西にずらして、潅木帯をジグザグに直登するしかない。アイスバーンではなく、よく締まったクトーの効く雪面で、全員快調に登頂する。今回登った唯一のピークで浅間山、草津白根、横手山、岩菅山、鳥甲、苗場山etcの眺めを楽しむ。

シールをはずし、オッタテ峰に向かって高度差100mの滑降だ。朝一、日の当たった絶好の中斜面でも私はやはりトップに行くのは怖い!ここは長坂さんに行ってもらう。後に続くみんなも気持ちよく滑っている。

点在する樹氷が朝日にきらめいて、実に快適。中館さんが、写真を撮ってくれる。

それからちょっと急斜面にかかったところで、中館さんがターンを失敗して転倒、10mほど滑落し立ち木に激突し、行動不能に。ヘリにより救出された。(詳細は下記に)
 ヘリが去って10分後、残るメンバー4人は一番早くくだれる鷹巣尾根分岐から派生している南東尾根を滑り、当初予定していたミドノ沢右岸を高巻いて馬止口へ出るコースに変更して出発。南東尾根は降り口に樹木が密生してルートがとりにくく、北側の立ち木のまばらな小尾根をくだる。ミドノ沢右岸の長い高巻きは潅木が多く、長坂さんが上手くトレースしてくれたが、かなり神経を使った。終始気温が低く、最後の鷹巣尾根末端南面1500m位から回しにくい軟雪になったのは幸いだった。
 無事に馬止口に滑り降り、携帯電話でタクシーを呼ぶ。林道を雪のある限り滑り、あと半分くらいは歩いて開善学校上方のゲートへ。もうタクシーが来ていた。尻焼温泉は素通りし、長野原警察署へ4人で事情聴取に立ち寄る。

コースタイム 横手山リフト前9:00=横手山頂9:55―鉢山南麓シール付け11:25−赤石への稜線1970m11:55−赤石と湯ノ沢の鞍部14:55−1960湯ノ沢とダン沢ノ頭中間辺・テント16:20(泊)〜7:30−2040mダン沢ノ頭8:20〜35−1920m中館さんケガ8:45救出してヘリ去る10:35〜45−馬止口12:50−ゲート14:00=タクシー=長野原警察署14:50=JR長野原草津口15:45〜16:00=前橋17:22
費用 往路夜行バス5000円 横手山リフト1320円 食料・燃料900円/人 タクシー9800円÷4=2465円/人  JR長野原草津口=東京 約3000円



事故報告

横手山〜尻焼温泉  現場特定にGPSが威力を発揮

記録:岡安

経過
3月2日(土)
 ラ・ランドネ5人パーテイは、横手山から赤石山の稜線を東進。湯沢の頭とダン沢ノ頭との中間辺りでテント泊とした。

3月3日(日) 快晴
 ダン沢ノ頭からオッタテ峰に向かってスキー滑降中、中館さんが転倒。10m程滑落して立ち木に激突した(8:45)。外傷・骨折はなさそうだが、腹部打撲の痛みが強烈で、吐き気・悪寒もあり、本人が「とても行動できない。ヘリを呼んで!」と訴える。
110番に金井さんが携帯で電話すると、長野原警察が足で山へ救助に出かけようという雰囲気。救助、ヘリの要請は119番消防の領域で、そちらに連絡するのが良い、と後日知る。金井さんがもう一度、「ヘリで」とお願いする。きれいな声、丁寧な言葉遣い・・今回、とても円滑に警察・消防と連絡が取り合えたのは、彼女のお陰と思う。
警察、消防から何度か連絡があり、現場のGPS測定値を何度何分何秒と伝える。これで、長野県側か、群馬県側かの疑問も解消。後で、長野原警察からも「とても助かった」と言われた。目印にオレンジ色ツェルトを振ると打ち合わせ、「今飛び立った。15分後に現場に到着する」との連絡。
10:20 爆音と共にヘリが飛来。片側が落ちている小山の鞍部上の斜面で20〜30mの樹木がある。こんな所でもホバリングして、ロープで二人の救助隊員が降りてきて、担架ごと吊りあげ救助。最後の隊員が、彼女のザックも背負って吊りあがった。
10:35 ヘリ去る。残るメンバーは、一番早く下れるコースを馬止口へと下山した。
事後報告
▽ 下山中に「中館さんは、無事に前橋日赤に入院しました」との連絡あり。
▽ 下山中、「長野原に出るなら、長野原警察署に事情聴取に寄ってくれ」との連絡。開善学校上のゲートから乗ったタクシーで、そのまま四人で出頭する。我々の「山行計画書」を基に確認されただけだった。
▽ 警察からの帰り、大坪さんに群馬県消防防災課にお礼の電話をしていただく。
▽ 翌日から勤めのある二人と新前橋で別れ、金井・岡安が前橋日赤へ見舞いに。中館さんは、とても具合が悪そうだった。お父上にお会いして挨拶。
▽ 3月5日 金井・岡安で、メンバーからの見舞いを持って前橋日赤へ。中館さんは昨日、空腸の一部を腹膜炎のため摘出され、トロトロとしていた。続いて、群馬県庁消防防災課へ菓子折りを持ってお礼に。帰りに、ラ・ランドネ例会へ。矢口会長に、長野原警察署、群馬県消防防災課宛ての礼状を、とお願いする。
▽ 3月12日 金井・岡安で、前橋日赤へ。中館さんはすこし痩せたが、元気に歩いていた。来週あたり退院できそうとか。「退院したら電話してね!」と別れた。

事故は、なぜ起こったのか
山スキーでは、「ここは自由に滑っていいよ!」とリーダーが言わない限り、リーダーもしくはベテランがトップを滑り、後続の技量で滑れるトレースを刻む。危ない所ほどトップのトレースを忠実になぞることが安全、と体験的に分かっているのだ。
しかし、彼女は年期が浅いのか、二番手を滑っていて、トレースを違え、クラストした急傾斜でターンを決め、2ターン目に転倒したと後続は言う。
いつもの仲間感覚で、そういう注意を言わなかったことを反省しています。
事故者の荷物について
ヘリは、本人のザックは運んでくれたがスキーはダメだった。事故・救出現場に直面した者が言えることは、「こんな危険な場所で、よくヘリ救助をしてくれ、命が助かった。これで十分!」の気持ちです。残るメンバーが安全に降りることが優先、と全員一致して、スキーは放置してきました。ラ・ランドネMLでスキー回収に協力を伝えてくださった方々、お気持ちに感謝します。中館さん、傷害保険が出るそうです。