八方南尾根

2002年3月2日(土)

参加 7人 奥村邦夫(L) 矢口政武 武田則子(装備) 布目和子 小松はる子 奥山修司(記録) 小林迪子(会計)

八方池山荘10:40…第2ケルン11:30…南尾根滑降開始12:00−沢に向かいトラバース開始12:40−林道14:00−車止15:00

 前日から大町の奥村邸に入り、ゆったりと食事。音楽を鑑賞して、早めに就寝する。

日朝、北方に爺・鹿島槍の、間近に餓鬼岳のスカイラインがくっきりと浮かび上がっている。車2台に分乗して八方尾根を目指す。ゴンドラ乗り場に皆を下ろした後、下山時の足確保のため1台をみそら野別荘地最奥まで回しておく。ゴンドラとリフト2本を乗り継ぎ八方山荘からシールにクトーを付けゆっくりと登り出す。第2ケルンまでは一登り。不帰以北は、杓子だけにうっすらと雲が掛かっている以外は雲無し。五竜、鹿島槍は雲の中。ここで、朝のあつあつご飯を握った特大のお握りに昆布の佃煮で昼食。そのうち五竜が顔を出す。

 雪面はクラストしているがそれほど堅くはなく、結果的にはクトーを着けるまでもなかった。いよいよ南尾根への滑降となって張りきるが、このクラストに出鼻をくじかれる。ブレーカブルクラストで、体重の軽い人がプルークでそろそろとやれば殻は破れない程度。殻の下はまだ硬く締まっているが殻の厚さが1センチほどあり、殻を破った場合はその殻が抵抗になって思うように曲がれない。体重のある人は初めから諦めてステップを刻むかスピードに乗せられての大半径のターンとなってしまうかのどちらか。膝のばねを生かしての小刻みなジャンプターンをする余裕は残念ながらなし。
 しばらく、その状態で悪戦苦闘していると、急に快適な雪質に変わる。クラストがなくなり、下が硬く表面2〜3センチほどが軟らかくなっている状態で自由に曲がれる。この気持ち良い雪も、ほんのわずか。標高が下がったことと時間の経過とで、上の軟らかい部分が30センチほどの重いザラメに拡大。スピードを出して滑ればスキーは浮くので曲げ易いが、地形を見ながら慎重に行くので30センチのザラメの抵抗をもろに受けてしまう。曲がらないわけではないが、バランスをとるのはやはり難しい。

 尾根の緩くなったところで休憩しながら、尾根をそのままくだるか、巻いて沢におりるか検討する。悪い雪質の急な尾根で苦労するより斜面を選びながら沢筋におりてしまおう、ということにする。 八方沢には、主稜線から直接滑りこんだと思われるボードのシュプールが数本刻まれているのが望まれ、それが八方沢に入り込むことへの誘惑を加速した。

 無立木の25度を超える斜面のトラバースなので、間隔を空けて進んだが、先頭の奥山が雪崩を誘発してしまう。ゆっくりスキーを進めたので上に乗っているザラメのほとんどを切ってしまい、下の硬い雪のところまでスキーが達した状態での斜滑降となったせいである。ゆっくり落ちる雪から外に抜け出せず、雪崩の上端に乗ったまま10数メートルばかり落ちたところでやっと抜け出す。沢底まで長い距離があるわけではないので大きな雪崩になることはないと分かっているものの、良い気持ちはしなかった。

 2番手の小松さんは、表面のザラメが落ち切って露出した凍った雪面を横滑りで巧みにくだり、問題なし。武田さんと奥村さんは、別の小雪崩を起こしながらも落されずに無事通過。布目さん、矢口さんも問題なし。小なりといえども、雪崩が次々に出たことで慎重になった小林さんはたっぷり時間をかけ、これも無事通過。

 沢本流も雪質は同じようであったが、斜度が適当なので、雪崩の心配も無く快調に高度を下げる。白岳沢の出合いは広々としていて自然に林道に滑り込める。

 林道歩きは、決して快適ではなかった。南尾根が扇状に広がる尾根に何本も掛かる小さな沢からのデブリや尾根の末端の急な斜面や岩の壁から落ちたブロックが進路をふさいでいるからである。

 途中、対岸の雪の急斜面を登るはぐれ?カモシカに声援を送ったりしつつ、1時間のアルバイトで車に到着した。ゴンドラ乗り場に置いた車を回収して、山行終了となる。

 大町温泉のはずれにある大町市民浴場(単純泉。300円。大町市民の奥村さんのみ200円)で汗を流し、南にくだった松川にある青崎山荘で夕食。5人前ずつたっぷりと盛られた大ザルを2枚、腹が十二分目になってもそのおいしさゆえに全部平らげて、皆満悦。

 膝に故障を抱えた人(複数)もいるし、滑降途中で見た対岸の尾根や沢の状態も悪い(沢は雪崩が怖い。尾根は末端の雪付きが悪い)ので、翌3日の山スキーは中止。この悪い雪でゲレンデ遊びをしても面白くないということで、2日目はスキーをせずのんびりすることに衆議一決した。その夜の奥村山荘では、再び良い音楽を聴き、良いブランデーをやりながら、良い友と遅くまで語りあった。