平成16年春 会員4人のスイス・ザースフェー報告

日程:2004年4月7日〜4月18日
参加者:大坪、岡安、金井、中山

 今年のヨーロッパ・山スキーは、ザースフェー近郊の山峰を巡るべく、シャモニガイド組合が主催するザースフェー4000国際募集山スキーツアー3泊4日に参加した。募集日程の4月11〜14日を核として、その前後にバレ・ブランシュの氷河ツアーを含めシャモニ近郊のピステとツェルマットのピステを加えて10日間とした。

4月7日
朝8時前に成田空港に集合。アムス経由ジュネーブ空港への到着が夕刻6時過ぎであり、シャモニ行の最終バス7時に間に合わない時間だったのでシャモニの常宿にしているPointe Isavellaの支配人リーさんに頼み、ジュネーブまで出迎えてもらった。

4月8日
天気は晴れておりモンブラン、ブレバンの山頂をながめながら、ゆっくりとPointe Isavellaホテルの朝食を摂り、店が開店する10時頃にスネルスポーツ店に行く。スキーやブーツを物色し、午後ガイド組合事務所に行きガイドとの連絡を取る。ザースフェーの出発は11日なので、それまでシャモニ近郊のスキーを楽しむ。

4月9日
朝から小雪なので様子待ちをしていると、空が明るくなり11時にブレバンに向かうバスに乗る。ブレバンの頂上へゴンドラを2回乗り継ぐと、2,524mの肩に降り立つ。ロープでコース取りされた氷河を滑り、ピステを利用して谷渡りのゴンドラでシャモニの北に位置するフレジェール氷河のピステに移動する。少しガスが出ているが気温が低いので雪質はまずまず。ここのリフトの最高地点は2,385mだ。

4月10日
薄曇りだがバレ・ブランシュを楽しむべく、自由参加のガイドツアーに入るため8時にエギーュ・ド・ミディゴンドラ駅に向かう。幸いに客3名だけのガイド(名前はラファエル)の同意を得て我々を加え計7名のチームが結成された。エギーュ・ド・ミディ3,842mに上がると上部は晴れており、バレ・ブランシュからボソン氷河まで総て見渡せる。ゴンドラ終点のトンネルの中で7名をアンザイレンしたガイドは、歩行アイゼン着用の確保体勢で雪の回廊を200m下り、11時に氷河の台地に降り立つ。 ここから滑走だ。前日の降雪が30cmほど薄く積もっており、初めから心地よい小回りターンが楽しめる。ガイドより絶対前には出てはならないことを念頭に、我先にとガイドを追いかける。ガイドのラファエルは要所々でクレバスや氷河形成の説明を加えてくれ、更に右からショー氷河と合せて最終点のモンタベールリフト乗り場に至る。

4月11日
ザースフェーのガイドはフレッド。彼の車でザースフェーの大駐車場に10時半到着。スキーを降ろしゴンドラ乗り場に向かう。ゴンドラ2回でブリタニア小屋へのルートに立つ。本日は小屋までの平坦な雪道だけなので、レストラン前でスキーヤーに囲まれてゆっくりと昼食を摂る。天気はよさそうで明日の登頂が期待される。

4月12日
ブリタニア小屋(3,029m)から一旦ゴンドラ駅に戻りアラリン駅(3,500m)までメトロ(地下ケーブル)で登ることになる。小屋を8時15分前に出発した。 アラリン駅からシール登高だが、この日はアラリン駅眼下のTバーが動いていたので、更に3,597mまで機械力で上がれた。Tバーに乗るのは難しい。2〜3度失敗した。ガイドのスキン、クラポンの声で、そこからは自足で氷河の登高となる。アラリンホルンを左上にみながら、幾度かキックターンを繰り返しながら、右から大きく迂回して稜線に出て、更にクトーを効かせながら登ること3時間。漸く頂上直下の肩に至り、スキーをデポして山頂(4,027m)に立つ。歩行アイゼンとピッケルは用意していたが、北風がなく気温が高かったので使う必要がなかった。
 帰路は登りと同じルートをスキー滑走で下るが、そこは氷河なのでガイドのトレールを追いクレバスに注意し、滑降のあらゆる技術を使って降る。ものの30分もするとピステに入れた。ここで休憩を取った後、一気にブリタニア小屋の下のTバー乗り場に着く。小屋に2時に到着し、小屋の喫茶室でビールを飲みながら午後の休息を楽しんだ。  明日予定ではタッシェ小屋に移り、最後の日にアルプベル峰を越えてザースフェーに戻ることになっていたが、ガイドは行程が長いのと、コースが南面であるため雪質が悪くアドラー峠の往復コースでブリタニア小屋に戻ると云う。帰路のコースを皆なで夕食後、相談して最終日はブリタニア小屋からアラリン氷河を横切り、スタウゼー・ダム湖に下りザース・アルマゲル村からザースフェー駐車場に戻ることになった。

4月13日
朝6時半にアドラー峠に向けて発つ。ストラルホルンを登る日だ。小屋から早朝の固く凍てついた雪面をトラバースしながら、一旦アラリン氷河端に降り立ち、シールで長い長い氷河を峠に向けてスキーを進める。ガイドの話では午後から天候が崩れるとのこと。途中少し頭痛が出てガイドがアスピリンを取り出す。歩めども歩めども峠は近づかないが、幾度可の休憩を経て、漸く峠正面の閃光登高になる。峠に出るとモンテローザやリスカムの山並みが望めるが、風がかなりきつくなりリンプフィッシュホルンの頂きも雲に包まれた。急激に天候が悪化しているためか、ガイドはストラルホルンに向かわず、さっさとシールを剥がし滑降姿勢に入る。新雪の滑りを交えながら長い氷河を降るが、途中トレールがクレバスを横切って走っている。ここでガイドは、スピードがあると横切っても知らずに過ぎてゆくが注意が大切だよと説明。それから先は濃いガスの中。ガイドはどんどん先に行くが、トレールがあり迷いやすい所では待っていてくれるので心配はない。最後は朝トラバースした急斜面ではクトーを効かせて登り切ると小屋の前に出た。

4月14日
朝8時晴れた中を出発する。シールを着けて氷河を横断するとき、ヒドゥンクレバスを警戒した先頭のガイドはザイルを取り出し2番と結索し確保体勢を取る。右上に覆い被さる巨大なセラックは青々とした氷の固まりで、何万年か昔に上部で降り積もった雪が深く圧縮されてゆっくりと流れ、ここに顔を出したものであろう。やがてクレバス地帯を脱したガイドはシールを外し滑走に入る。コースは安全と判断したのかどんどん先に進み、ダム湖を見下ろす氷河先端に至る。左右は巨大なモレーン(氷河が運ぶ岩碎の堆積物)に沿って、雪質のよい北面を選びながら、氷河で平たく削られた畳みの大きさで何枚もある大きな岩を越えて、やがて林道に出る。雪解けの水を集めた小川を渡り、回送のタクシーが待つ牧場に到着したのは11時少し前であった。ガイドの車でツェルマットの一つ手前のタッシェ駅に送ってもらう。駅前でガイドが別れる間際に、残りの旅の安全を願って全員にリキュール酒を一口含ませてくれた。ここから鉄道で一駅のツェルマットに移動し、駅前のガルニ・バンホッフが今夜の宿だ。

4月15日
ツェルマットの初日はガス曇りで上部のゴンドラは休止と考え、スネガ地下ケーブルでロットホルン(3,103m)に向かう。オフピステを含め何本か滑走し、帰りはガントからゴンドラでゴルナーグラート上部のホッタリー(3,286m)に上がり、狭い急な下り回廊を今にもロープから飛び出しそうになりながら、アプト式のゴルナーグラード山岳鉄道中間駅からツェルマットに戻る。

4月16日
少しは天候が良さそうなのでクライムマッターホルンに登るべく宿を9時に発つ。やはり中間駅のトロッケナーから上のゴンドラは動いてないので、午前中はトロッケナーを中心にテオドゥール氷河のリフトを使ってピステの端を何本か小回りターンを楽しむ。昼食をトロッケナーのレストランで摂り終えたらクライムマッターホルン(3,885m)へのゴンドラが動きだしたので、すぐに乗り込み山頂駅(3,820m)からトンネルを抜けて氷河上端に出る。ゴンドラからは下のウンターテオドゥール氷河のオフピステを楽しむ7人のグループが見えたのに山頂駅はガスの中だった。  ロープに沿って降り、セルビニア(イタリー側)と連絡するリフト沿いに長い距離の滑走を十分たんおうしトロッケナーに戻り、フーリまで林道を下る。更に林道には雪が付いているのでそのままツェルマットまで滑走できた。

4月17日
今日は午後ジュネーブに移動するので、スキーは半日の滑りである。予定ではゴルナーグラートから上部のストックホルンに上がりオフピステを考えていたが、10時ゴルナーグラートの展望台からガントの谷間を覗いたがガスで視界不良。やむなく登山鉄道沿いにリッフェルベルグの斜面を何本か滑り、夏は牧場のコースをフーリに出てゴンドラでツェルマットに戻る。3時の列車でローヌ渓谷をジュネーブまで3時間半の車窓を楽しむ。  ジュネーブでは駅前のホテル・ベルニーナに投宿。

4月18日
朝食を済ませ列車でジュネーブ空港に着き、アムステルダム経由成田行きのKLM航空に搭乗手続きを済ませる。買い物が多かったのか2人分のザック・スキーを別々に計りにかけたが、共に6キロの重量オーバー。共に超過重量は3キロにしてくれたが超過料金を取られた。予定の便が大幅に遅れたので、航空機会社を変更しルフトハンザでフランクフルトに向けて出発。成田へは予定通りの時間に到着した。

以上

大坪 記