2005年4月 巻機山から米子沢(越後駒より変更) 会山行報告

日程:2005年4月2日

参加者:錦織(L、記録)、土屋(SL)、中館、直井

山行目的地変更:越後駒へ入るためのルート、奥只見シルバーラインは例年3月の3連休に開通するが、今年は除雪が間に合わず開通しなかった。3連休時点での情報では月末迄には開通する見通しとの返事だったが、結局開通は4月2日になった。ところが4月1日の最終確認で、奥只見丸山スキー場への道の除雪優先のため銀山平方面の除雪は未着手で進入不可というのが小出地域整備部からの回答であった。この場合に備え事前に打ち合わせておいた巻機山米子沢の日帰り山行に直前変更した。
巻機山にしたのは回答が不確かなとき、銀山平現地まで行き進入できなかった場合すぐに引き返して登れる越後駒クラスの山という基準であった。

4月1日
JR高崎線宮原駅及び土屋宅に22:30集合し、土屋車で23:00出発。仮眠場所は岩原スキー場の無料仮眠所を使う。仮眠所は広くスキー客は少なく快適であった。快適過ぎて危うく寝過ごしそうになった。

4月2日
(偶然に)5:40起床し清水へ移動。路上には12、3台の車が駐車してあり、そこそこの入山者がいるようだ。移動の車中や準備段階でメンバーの荷物についての哲学を知る。土屋さん、直井さんは徹底軽量派でザックは小さく軽い。直井さんはJPオートルートツエルト縦走も40Lのザックでこなし、その時はちり紙の枚数まで計算したとのこと。土屋さんは金物、ハイテク物は一切なし。食事・水も最小限、食い溜め、飲み溜めができる体質だそうだ。水は300mlのテルモスのみ。中館さんは2泊3日クラスのビッグサイズ、内容物は後ほど判明。本日の錦織は日帰りとしてはフル装備(ロープ、バイル、ハーネス装着、下降器、歩行アイゼンなど)で見た目より重い。
天候は快晴微風で良好。7:30登行開始。ちょっとミスルートするが8:10に米子橋を通過し西側のぶな林の斜面に取り付く。ぶな林の影、かつ西側で日が当たらないので雪は硬く900m付近で錦織は歩行アイゼン、その他のメンバーはスキーアイゼンをつける。中館さんのビーコンが電池切れしていたので電池交換。9:40に井戸ノ壁上1170mに出て米子沢の様子を偵察し、沢が完全に埋まっているのを確認。昨年3月に会山行で来たときは既に滝が出ていたので、今年はかなり雪が多い。
ここで小休止後、登行再開。この辺りからペースが上がる。引っ張ったのは中館さんで土屋さんが「歩くの速いよ」と言うくらいだが全員付いてゆく。1170mからニセ巻機下の急登手前1600m地点までを1時間で登り、10:40着。直井さんも全く遅れない。一昨年の谷川岳、万太郎山の山行を知っていたので心配はしていなかったが年齢を考えれば驚嘆に値するスピードである。
ここでの休憩から中館さんの荷物の内容物が徐々に判明し始める。5個入りの菓子パン4種(ピーナッツバター、桜餡、アップル、ハムチーズ)を皆相伴する。準備が遅いとぶつぶつ言っていた土屋さんと錦織は以降完全沈黙。

 ニセ巻機下の急登はシールで登るが、1770m地点で氷結した斜面に囲まれ、スキーアイゼンのない錦織はシール登行を諦めブッシュの中で歩行アイゼンに履き替える。この際ストックを流しかけヒヤリとする。氷結区間はわずか30mほどの距離だったが、ここが今回の山行で一番緊張した。1600m地点で歩行アイゼンに履き替えようか迷い結局シール登行を続けたが、迷ったら安全策にすべきだった。11:40に錦織がやや遅れてニセ巻機1861mに到着。空は少し霞んできたが天候は良く、視界良好、微風、眺望は最高。避難小屋は完全に埋没している。
 11:50に巻機山への最後の登行開始、12:30に全員頂上到着。登る前に清水からの標高差1400m弱を5時間で登るのをベストケースと考えていたが、気象にも恵まれこれに完全一致であった。頂上では中館さんのザックからビール500ml、おつまみのピーナッツ、あられが出現。土屋さんは驚喜(というふうに見えた)。仮眠所で飲むつもりで飲まなかったものを持ってきたとのこと(が、これには隠された真実が)。このほかに水を1.4Lも担いでいたらしい。他に何を持ってきているのと、ザックの中を覗くとそこには丸くなった愛猫が欠伸をしていて一同唖然・・・なんてことはなかったが、これだけ担いであのスピードで登れるなら大したものだ。
 12:55に滑走開始。錦織が米子沢入り口1750m地点まで滑り様子を頂上の3人に連絡。雪は良さそうに見えたが、ねっとりまとわりつくような雪質でスキーが全然走らない。雪庇からの転落以外は特段危険な場所もなかったので、3人思い思いのラインを滑り合流。米子沢には先行者2人のトレースがある。次は錦織が1400m地点の「喉」の手前まで滑走し、再び様子を連絡。ここまで沢は広く滑りやすいがスキーの走らない雪質は相変わらずで、その上急ブレーキがかかるような部分が多々あり難しい。喉の部分は短くここを通り過ぎると再び広い沢となる。次はナメ沢出合下960m付近の平坦な部分まで錦織が先行し再び連絡し3人が続く。沢は雪で完全に埋まっており、クラックやシュルンドなどの兆候は全くなかった。
 土屋さんが中館さんの滑りが上手くなったと賞賛。「ビール効果」だけではなく本音らしい。960m地点からは全員一緒に米子沢左岸をトラバースするように小さな沢を越え14:05に登行開始地点に帰着した。

 帰りに岩原スキー場近くの「岩の湯」という日帰り温泉に入る。入浴料300円。土屋さんと中館さんが「300円は安い。都内の銭湯でも400円以上するのに。」と全く同じこと別の機会に私に言ったので、この辺のものの感じ方は二人とも近いのだなと知る。16:00に湯沢を出発し18:30に大宮に到着。直井さんはJRで中館さんは錦織の車で帰途に着いた。費用は交通費4,00円。

成果:
 適正人数で登り5ピッチ・下り4ピッチのリズムの良い快速山行。4月の滑りは難しいことを改めて知る。朝は硬く昼になってもザラメまでにはならない滑り難い雪質が多い。不確かな場所は万全の体制で臨むべきことを再認識させられる(錦織@1770m)。中館さんに対する評価が一気に上がる。

課題:
 本件山行についてはなし。越後駒山行の日程は3連休から2週間もあれば大丈夫だろうと、4月2、3日にしたが今年は豪雪で目的地変更を余儀なくされた。来年に再度計画を検討。日程順延も当初考えたが、メンバーのほとんどが他の山行に参加予定のため順延は取りやめとした。

ビール500mlの真実(報告書執筆後に中館さんの供述により判明、原文そのまま):
私が「缶ビール」を担ぎ上げたのは、車の横で荷物を広げて準備をしている時に、土屋さんがそれを見付けて「中館さん、良い物持っているじゃないですか ! それ、今から雪の中で冷やしておいて下山してきてから飲むか、もしくは山頂で、みんなで飲みませんか! ? 」と言ったので、「じゃあ、山頂にしよう」と私が答えて、担ぎ上げたのです。
汗をかいて上り詰めた後のビールは最高なので。「でも、山行中は、アルコールは駄目って言うリーダーもいるけど、大丈夫かなァ」と私が言うと、土屋君は「そんなの大丈夫ですよ、リーダーは許します! !」と答えていました。それで、つまみも持っていくことにしました。山頂への最後の登りの途中でも、土屋さんはビールのことを気に掛けていて「中館さん、先に行ってビール、冷やしといてください」とか言っていたし、山頂で冷やそうとしていたら「それ位は僕がやりますよ!」と言って、雪の中に埋めてくれました。土屋君が感激していたのは確かですが「知らなくて驚いた」訳ではありませんでした。(中館)

リーダーコメント:  土屋さんに乗せられて、まんまとビールを担がされた純真な中館さんはやはり今回の山行MVPでした。ご苦労様でした。
(錦織 記)