2006年3月 栂海新道・初雪山縦走 会山行失敗報告

3月18日〜21日の予定で和田さん、ゲストの川久保さんと出かけた栂海新道から初雪山の縦走計画は悪天のため、白高地沢より往路をもどりました。同時期4回目の試みですが、今のところ1回しか完走できていません。 今回は以前縦走したコースで取り残した部分と、新しく考えたコースを試みるための入山でした。 2日目からは風雪のため白高地沢で停滞して天候の回復をまとうとしました。これは予定通りの行動でしたが、予想以上に風雪が続き引き返す結果になりました。 各地で遭難があったようで、亡くなられた方も数名でたようですね。なかなかこの時期の天候の読みが難しいことを改めて感じましたし、そうなった場合の的確な判断と行動が重要ですね。 ちなみに完走できた時は晴天が続き、4月中旬の山スキーといった感じでした。 現地での天候状態と行動を説明します。

3月18日(土)

8時栂池高原スキー場のゴンドラに乗る。気温高く風はなし、太平洋側の前線の影響か高曇り状態で、どこも湿雪状態。天狗原のいつも滑る斜面の東側に150m程の雪崩れたあとがあり、この部分が雪崩れたのを初めて見ました。蓮華温泉に着くと小屋のおじさんに「ずいぶん早い到着だね〜」と言われ、「先があるから」と伝えると「そりゃ〜たいへんだ」と言われましたが、その通りになってしまいました。小屋の周りは、今年は雪が多いそうです。 午後から天気は崩れ出して雪交じりの小雨になり、瀬戸川をわたって登り返したところで16時テントを張りました。 夜中雨と雪の混じった風が吹いたようでしたが、夜行の寝不足で熟睡していたせいもありますが、樹林帯の中なのでそれほど強くは感じませんでした。


3月19日(日)


朝、天候は冬型に変わりつつあり雪に変わっていました。9時30分最初の予定通り、朝日岳の直下まで登って天候の回復を待って翌日前進しようと出発しましたが、樹林帯を抜けると風雪がかなり強く視界もなくなり、1,500mあたりの大岩の影に11時30分テントを張りました。これ以上進んでも稜線近くまで行くのは難しいし、沢の中ですから安全なテント場を見つけるのは無理だとの判断からです。 夜ラジオでは北海道は大荒れ、新潟も悪天候との予想で数日回復の見込みなしとの内容でしたから、あす風が弱まったら下山しようと言う事になりました。 7〜8年くらい前、始めてこのコースに会友の矢本君と出かけたときは、やはり天候が悪くなり、朝日岳直下で2日間動けませんでした。このときは雪が沢山降り、埋まったテントの雪かきに夜中も数回起きなければならない状態になりました。

3月20日(月)


天候は変わらずで、回復の見込みはなし。雪面から巻き上げられた雪が吹き付けますが、降っている雪は少ないようです。動きが取れないほどの風雪ではなかったので風の間合いを見て9時下山することにしました。 瀬戸川までくると深い沢と高度が落ちたせいか、冷たい風は吹くものの休める状態になりました。瀬戸川の急斜面はラッセルの登りでしたが、それほど雪が深くないのは助かりました。 14時蓮華温泉に到着。バテ気味のおじさん3人、その日のうちに木地屋に下る案も出ましたが、暖かい温泉付きの小屋の誘惑に勝てず、一泊することに。 やはり客は少なく杉並労山の7人パーティーと単独の男性のみ。杉並の中のお二人は雪倉を試みたそうですが、滝の上で引き返したそうです。

3月22日(火)


朝一時晴れました。7時30分、木地屋に下る杉並のパーティーと別れ天狗原に向いました。しばらくすると風が強くなり、ところどころラッセルしながら、お昼近く天狗原に到着、風強く直ぐに下降しました。 斜面は湿雪が凍って荒れた硬いバーンになっており、あまり新しい雪は積もっていませんでした。栂池のスキー場に着くと天候も普通の状態になり、相変わらずべたべたとした雪の斜面が続き、1時30分下のゴンドラ駅に到着。 風雪も高度で1,000mを越えると越えないでは、かなりの違いが有るようでしたし、麓では日本海側の新潟の荒れ方に比べると、高い山のある長野側はそれほどでもないようにも感じました。 新幹線で帰る川久保さんを見送り、和田さんと私は白馬駅の蕎麦屋で世界野球決勝の9回日本の攻撃を見て中央線でのんびり帰りました。来年同時期また3人で試みるつもりです。 

(村上 記)