2006年2月 吾妻三山縦走 会山行報告

2月11日(土)

4:45 自宅出発。近頃の山行はずっと車利用であったので、自宅から山姿でスキーを担いで駅まで行くのは久しぶりである。
6:34 上野駅から「つばさ101号」に乗り込む。週末ではあるが山形方面に行く客は少なくて車内はガラガラであろうと勝手に予想していたが、自由席は150%以上の混みようである。スキーやリュックを持って強引に車内の中程まで行き、ようやく一息つくと近くに山の格好をした私と同年齢の男性が座っておられた。ラ・ランドネの人かと思ったが、近くにスキーが見あたらぬので違うようだと思っていると先方から話しかけてこられた。直井さんであった。
彼は山の経験が豊富な方で話題は尽きず、おかげで米沢までの2時間があっという間に過ぎた。 8:35 米沢駅着。ここで村上、和田の両氏に会う。3週間前の東吾妻山行以来である。また矢本さんという頼もしい若者にも紹介してもらう。前もって村上さんが予約されていた8人用の大型車(タクシー)に乗り込み出発。通りに設置されている温度計では外気温が-3℃であった。(タクシー代1,950円/1人)
9:30 天元台ロープウェー駅着。矢本さんがロープウェーとリフト券(3本分)をまとめて買ってくれる(900円/1人)。残念ながらシニア券はない。9:45頃ロープウェー駅発。
10:15 風はそれ程なく、視界は500m程度である。第1リフト乗り場着。このリフトには私の子供達が小さかった頃、同じ年頃の子供を持つ数家族で来た事があった。それ以後、山スキーで2回来ており、今回4回目だが、何時来てもスピードがのろく、乗っていると寒い。 ゲレンデとしてのコースも魅力に乏しく、よくこんな所にスキーヤーやボーダーが来るなーと感心する。私が属している「産総研山の会」の毎年の冬合宿に使用している宮城蔵王のマイナーな「澄川スキー場」と同じく、私には気にかかる「絶滅危惧スキー場」である。これらのスキー場がなくなったらリフトが使えなくなり、吾妻連峰や刈田岳直下にある「清渓小屋」(東北大学山岳部ヒュッテ)に行くにはかなり苦労をしなくてはならない。
10:45 3本のリフトに30分かかり、ようやくリフト終点に到着。ここでスキーにシールを貼る。
11:00 先行パーティーのスキートレースを利用して登り始める。先頭の村上さんのペースが速いので、まだスキー登行のカンが戻っていない身としてはついて行くのに少々息が切れる。ここでは小雪で視界は100m程度。
12:00 梵天岩着。
12:40 西吾妻山頂上着。シールを外して滑降準備。木がないので風がかなり強い。 12:53 先ずは梵天岩方面に少し下り始める。頂上直下の東側の地形図上でガレ場の下を通過する時、上を見上げると雪庇が張り出しており、そこから雪崩発生はないかとヒヤヒヤしながら斜滑降で、50m程の危険地帯を通過した時はホッとした。ここから東方向に快調に滑って行く。
14:23 ようやく沢筋に降りてホッとするが、沢の高低が本来なら左から右へ下りている筈が逆である。地図とGPSで確認してみると予定していたコースからえらく南にそれてしまって地形図上の「朱滝」から下流の支沢の上流に下りて来てしまった(N37゜43'54.22"、E140゜09'42.53"、1,503m)。先頭を滑っていた村上さんは「自分が滑りやすい所を選んで滑っていたら間違ってしまった」と反省されたが、後ろから盲目的について行った私も反省しなくてはならない。時々停止してもらってGPSで位置を確認すれば良かった。 この支沢を降りて中津川本流に行き、そこで渡渉しようという案も出されたが、昨年の夏この沢を遡行された直井さんの話では、この辺りは地図にもあるように両方とも崖であるのでとても登れないとの事で高度1,600mまで登り返し、そこから等高線上に渡渉点を目指そうという事になり、シールをつける。
14:49 矢本さんを先頭に和田、川久保の順で登り返す。村上さんと直井さんは少し遅れる。
15:12 和田さんのシールの調子が悪く、テープで補強している間に矢本さんが「ラッセルをしておくから」と言って先に出発する(高度1,591m地点)。
15:25 和田さんのシールの補強も完了し、村上、直井の両氏も到着したのでいざ出発しようとしたら、矢本さんがまっすぐ登って行ったか、この辺りで東に方向を変えてトラバースを始めたのか見当がつかなくなった。私が和田さんのシール補強に気をとられて、矢本さんが行った方向をちゃんと確認していなかった事が大きなミスであった。 登り返す時の話では、そろそろこの辺りの高度(1,600m)でトラバースを始めるという事であったので、右に別れているトレースを探したが見つからぬので、もう少し先に行ったと推量して村上さんが先頭で更に以前のトレースを辿る。
16:00 しかしながら、行けども行けども東へ分岐するトレースが見あたらない。直井さんが「矢本さんのストックをついた跡がある?」と皆に注意を促し、そのトレースの両側をよく観察するが、どうも無いようだ。どこかで彼のトラバースした分岐点を見過ごしたらしい。皆で何回も「矢本さぁ〜ん」と呼んだり、笛を吹いたりするが返事が無い。その内、矢本さんは引き返してくるだろうという事で、それまで同じ道を登り返そうという事になる。
16:30 ありがたい事に矢本さんが追いついて来た。一同ホッとする。パーティーで行動する時、トランシーバーを持っていない場合は声の届く範囲以上は離れていけない事を痛感した。 ここ(N37゜44'20.80"、 E140゜09'32.34"、1,768m)からトラバースを開始する。随分登り返したものである。約3時間のロス。ここから下りであるが、大事をとってシールをつけたまま方向に注意しながらゆっくりと下る。中津川の渡渉点まで下りたかったが暗くなって来たので樹林帯の西風を遮ってくれそうな平地(N37゜44'31.22"、E140゜10'00.45"、1,705m)でテントを張る事にする。
17:13 皆で雪を踏み、地ならしをしてテント設営開始。
17:40 テントは5人には少し窮屈かと思いきや、全員のリュックも入り快適である。矢本さんが入口に陣取ってくれ、水作りから始めて炊事を殆ど引き受けてくれる。夕食は私が持参したジフィーズの「五目飯」、「親子丼」、「みそ汁」である。全てお湯をかければ出来上がるので手軽であり、「手軽=味が不味い」のイメージがあるが結構いける味である。
20:30 就寝。矢本さんと直井さんがテントの両壁際に寝たので、内張についた水気で寝袋が濡れて大変だったろうと思う。私は和田さんと村上さんの間に寝せてもらって、しかも冬用の嵩張った寝袋を持って来たので快適至極であった。 近頃の山行では全て小屋泊まりであったので私はテントの作法を忘れてしまい、私物の整理が悪くて皆に迷惑をかけたり、テントシューズを家に忘れてきたので、トイレに起きて外にでる時に直井さんのビニール手製シューズを借りたりした。

吾妻三山縦走 第1日目ルート平面図



2月12日(日)

4:00 起床。前夜作っておいた水を沸かし、直井さん担当のラーメンを食べる。
7:10 テントを撤収し、出発。昨日と同様シールをつけたまま降りる。すぐに中津川の手前の地形図上に記されたガレ部に至る。40度くらいの傾斜が30m程あり、一見雪崩れそうな所である。先頭の村上さんは「大丈夫」と言って果敢に滑り降りて行った。雪面はしっかりしているようである。 私はここを降りる間に転び、再び最後の殆ど平坦になった所で転んだ時に柔らかい雪に頭から突っ込んで、しばし息が出来なくなった。村上・矢本さんは短時間で降りたが、川久保・直井・和田は少々時間がかかり、全員がこの場所を通過するのに30分ほどかかった。
7:58 ようやくにして中津川に到着した(N37゜44'32.69"、E140゜10'12.89"、1,589m)。 ここから対岸を登ろうとし20mほど上がったが急すぎて登りきれず、諦めて中津川上流を渡渉点を求めてしばらく遡る。
8:40地形図上で二股になった所(N37゜44'38.41"、E140゜10'16.99"、1,588m)で矢本さんを先頭に最低地より登り始める
10:17 地形図上の1,807mのピーク直下。ブッシュがあって登りづらいが、矢本さんが上手くルートを作ってくれる。
10:50 ようやく1,810mの高度で、中吾妻山と継森からの稜線に達する。中吾妻山方面を見ると樹林が密生していて進みにくく、ラッセルもきつそうなので中吾妻山に行く事を諦めて、ここから谷地平に下る事となる。樹々が密生しているのでここもシールをつけて慎重に下る。
12:50 右側に沢が見えてくる。沢床には入らず、その左岸を沢に平行にトラバースする。
13:10 平地に来て左から大きな沢が流れ、水が流れている。対岸に渡るために雪で埋もれている所を探してしばらく下流に行くも無さそうなので、上流に行くと幸いな事に渡渉点を見つける事が出来た。
13:28 沢を2ヵ所で渡り、しばらく行くと10m程の急な登りがあり、谷地平の台地に着く。この広々とした台地を南東に横切ると、20m程下方に谷地平避難小屋が見えた。
13:50 小屋を遠望した時、その手前に沢がパックリと口を開けているのが見えたので、うまく渡る所が見つかるか心配であったが、雪で埋まっている所があり、直井さんが先頭で沢を渡り谷地平避難小屋に着いた(N37゜43'39.93"、E140゜12'34.80"、1,490m)。小屋の中は土間の周囲が板張りであり、窓の下には小物置の棚があって非常に快適である。ここでゆっくり食事を取り休憩する。この時間では吾妻小屋に着くのは日没になる事が予想されたが、明日の行程を考えると先に行こうという事になった。
14:41 出発。ここから稜線まで高度差300mも登らねばならない。あまり視界がないが、前方にうっすらと稜線が見えている。
16:00 最初ダラダラとゆっくりした登りでなかなか高度をかせぐ事が出来なかったが、ようやく急な登りとなる。普通ならこのような斜面はジグザグに登っていくので切り返しが面倒だが、このルートは延々と左に山を見ながらのトラバースであった。
17:27 ようやく姥ヶ原についた。風が強く、夏道の板道が見えているところがある。標識もあり急に人間臭い景色となった。しかし風が強く周りはかなり暗くなった。
もはや吾妻小屋に行く事は諦め酸ガ平避難小屋に行く事になり、村上さんを先頭に少し下り気味に進んで行く。皆ヘッドランプをつけ、先を急ぐ。私はシャリバテ気味となり、立ち止まってポケットから飴を取り出ししゃぶろうとしたら、皆から遅れて50m程離れてしまった。ヘッドランプの光は相手がこちらを振り返ってくれる場合は良い目印となるが、前方を向いたら真っ暗である。ここで離れてしまっては大変な事になりそうなので、必死で後を追う。 ようやく蓬莱山を回り込み、もはや真っ暗な中を村上さんと矢本さんが小屋を探しながら行く。もしここで小屋が見つからず、テントを張らねばならなくなったら、この強い風では無理かも知れない。何とか見つけたいと思い、GPSで位置を確認しようとしたら運の悪いことに電池切れである。この電池交換には平常でさえ少々手間がかかるので、まして強風で両手の指先が凍傷気味で動きにくくなっている今はとても不可能である。泣き面にハチとはこの事である。何とか小屋が見つかってくれと祈りながら二人について行くと、前方に黒々と二つの家が見えてきた。「ヤレ、有り難や!」、村上さんと矢本さんの超人的な記憶力とルートファインディングに驚嘆し、感謝する。 3週間前に村上さん達と来た時は窓が開かずに、ドアを開ける事が出来たが、今回は逆にドアは開かずに、窓を開ける事が出来た。脱いだスキーが強風で吹き飛ばされそうになったが、何とか窓から小屋に入れる事が出来た。小屋が見つかって本当に良かった。
18:30 小屋に入ってようやく深い安堵感に浸る(N37゜43'35.76"、E140゜14'28.66"、1,773m)。小屋の中にテントを張り、小屋の中の雪を取って水を作る。小屋から出てトイレ(小)をする時、液体は垂直に落ちず、風で水平に吹き飛ばされてしまう。 昨日と同様、矢本さんが水作りはもとより、殆ど料理を仕切ってくれた。今晩のメニューは村上さんのオジヤ(鮭雑炊の素・白菜・ベーコン・卵・バター入り)であった。非常に美味しく、帰宅したら早速家で作ってみようと思う。 今日の緊張を矢本さん持参の焼酎でほぐし(村上さんのウィスキーは昨夜で消滅)、ゆっくりと話しているとあっという間に時間が経ち、早や23時を過ぎてしまった。
23:15 就寝。

吾妻三山縦走 第2日目ルート平面図


2月13日(月)

6:22 昨日の疲れのせいか、今日は起きるのが遅くなってしまった。朝食は矢本さんの芥子明太子味のスパゲティーであった。こうしてメニューが勢揃いしてみると、私が準備したのを除いて皆個性があり、味も栄養も満点であった。
9:22 出発。天気は快晴であるが、昨日と同様かそれ以上の風である。今日もシールをつけて、浄土平に下る。3週間前にはアッという間に快適に下ったコースを、今日は後から強風に押され、シールを付けて滑ったり歩いたりヨタヨタと下って行く。
9:53 普通なら10分くらいのところを、30分掛かってようやく浄土平着。ここで少しは風が弱くなったのでトイレ(大)タイムとなる。 私のシールが剥げ出し、方々にビニールテープを巻き付ける。こんなに西風が強くてはこれから東吾妻山に登る事はおろか、直接高山を越えて土湯温泉に下るのも無理であろうという事になり、「磐梯吾妻スカイライン」を通って吾妻スキー場に下りる事になる。
10:15 出発。道路は風が強く、雪が吹き飛ばされている所が方々にある。舗装道路の上も、スキーを脱がずパタパタ歩いて行く。硫黄臭い所があり、「ガスの為停車しないように」という立て札があったが、今日のように風が強い時はガスが吹き払われてガス中毒の恐れは無さそうである。
10:41 最初に道路がジグザグになる所で、再び私のシールが剥がれた。凍り付いた道路をガシガシ滑って行くのでエッジでビニールがすぐ切れてしまう。村上さんに待ってもらい、ようやく補修を終えて歩き出すと、道路が折り返し西向きとなって完全な向かい風となる。時々歩みを止め、耐風姿勢を取って風をやり過ごさねば体がよろけそうになる。歩いて来た所を振り返ると岩峰が雪の鎧をまとって聳え、まるで北アルプスのような景色である。
11:30 地形図上の1,561mピークから派生した尾根を回り込む場所で吹き溜まりがあり、道路が雪で埋まって急斜面となっている(N37゜43'54.30"、E140゜15'56.10"、1,464m)。村上さんが先頭を行き、雪崩を警戒して50m空けて後続するように指示される。ここから滑落したら高度差のある崖から落ちるので、緊張しながらトラバースする。 その後も尾根が派生して道路が回り込んでいる所には吹きだまりがあり、道路が雪で埋まって急な斜面となっている。矢本さんがトップでルートを作り、斜面がクラストしている所は下から適切な指示をしてくれるから、緊張しながらも落ち着いて行動する事が出来た。
12:41 地形図上で2番目の道路のジグザグ点であった(N37゜44'23.04"、E140゜16'12.02"、 1,417m)。4回目のトラバースの時は固い雪面があったのでクトーを付けた。 ようやく吹き溜まりの緊張するトラバースから解放され、ここでシールを取り滑走を開始。気温は寒いが晴天で何となく春山のような気分となる。
13:11 出発。ジグザグをショートカットする時は斜面が急になるのでスキーがよく滑るが、道路沿いに滑ると雪が深くて滑らない。トップを交代しながらラッセルして進んで行った。
14:40 不動沢橋着。この辺から雪が締まって来て道路沿いでも少しスキーが滑るようになった。
15:20 ようやく吾妻スキー場の第2ゲレンデが見えてきた。ヤレヤレやっと辿り着いたかとホッとする。
15:28 ゲレンデを快適に滑って吾妻スキー場「バニーハット」に無事到着した。村上リーダーと矢本さんにガイドして頂いた事に感謝し、和田さんと直井さんに楽しい山行に同行して頂いたお礼を言う。「バニーハット」の入口で記念写真を撮る。 16時に高湯温泉行きのシャトルバスが出るとの事で、急いで帰り支度をする。ここに帰り着いたら必ずレストランのお汁粉を食べるつもりであったが、支度に時間がかかりやむなくパス。
15:58 シャトルバス出発。乗客は我々5人だけである。勤務日で夕方とは言え、こんなにお客が少なくては相当な赤字経営だろうと他人事ながら心配になる。
16:15 高湯温泉着。ここで村上さんと和田さんは温泉「あったか湯」に入り、矢本・直井・川久保はそのまま帰る事にする。
16:30 バス発。
17:00 JR福島駅着。連絡が良く、東京行きの新幹線にすぐ乗れ、大宮で矢本さんと別れ、東京駅で直井さんと別れた。あとで村上さんから聞いた話では、村上、和田の両氏が乗ろうとしていた山形新幹線は強風の為遅れたとの事であった。我々は定時の運行であったのでこの日は風が益々強くなったのであろう。
21:00 無事我が家に帰宅。

吾妻三山縦走 第3日目ルート平面図(点線)


高度推移(天元台ロープウェイ1,300mから吾妻スキー場950m)



反省点:
(1) シールを剥がした後の管理がおろそかであった事
従来まではリュックの中に入れていても大丈夫だったのですが、今回は凍ってしまい、再びシールをつけようとしても剥がれてしまいました。今回は私のシールトラブルで皆様の足を引っ張ってしまい申しわけありませんでした。
(2) GPSの電池は早めに交換する事
一番大事な酸ガ平避難小屋の位置を確かめる時に電池切れで役に立ちませんでした。しかし、あの真っ暗な強風の中、村上さんと矢本さんの超人的な記憶力と土地勘で見事に小屋を見つけて頂いて非常に感謝しております。
(3) テント利用の時はテントシューズを持参する事
和田さんや直井さんにシューズを貸して頂き、ありがとうございました。
(4) ウィスキーか焼酎、及び酒の肴を持参する事
今回は1gでも荷物を軽くするために、何も持参しませんでしたが、たとえ500g重くなっても夕食後の楽しみが大事だと分かりました。
(5) オーバー手袋を新調する事
今まで薄手の5本指の手袋に、20年前のビニロン製のオーバーミトンを使用していましたが、今回はカパカパに凍り付き、両指先(特に右手の親指・薬指・小指)が凍傷になり、今でも少し痺れタイプを打つのに苦労しています。もっと保温性の良いミトンを新調しようと思っています。

(川久保 忠通 記)