2009年GW 毛勝三山と小黒部谷遡行 会山行報告

会山行計画「毛勝三山から剣岳縦走」毛勝山から北方稜線を進んで大窓を経由し小黒部谷にはいり剣沢に進んで剣岳に登る計画を大西夫妻と3人で出かけましたが、途中のブナクラ乗越到着後、折尾谷を下降して小黒部谷を遡行するルートに変更して剣岳に向かいました。

5月1日(金)

魚津駅…片貝山荘…毛勝谷1540m


夜行の能登で魚津駅に早朝到着、タクシーで片貝に向かいましたが片貝山荘のかなり手前にゲートがあり「5月1日午後からオープン予定」と張り紙が。しかし後の祭り、数日続いている好天を無駄にしたくないのでそこから歩くことになりました。
1週間分の装備にスキーを担いで4時間近く、阿部木谷標高870mに掛かる大きな堰堤にやっとたどり着き雪道に変わりました。ゲートがあることを確認しなかった付けは大きく今日中の毛勝山頂は難しくなりました。
阿部木谷から毛勝谷に入り15:00少し早いのですがこれ以上登っても安全なテン場は見つかりそうも無いので1540mの二俣にスペースを見つけ泊まることに。幸い雪壁から溶けた水を取ることができて作る手間がなくなりました。夜は荷物を軽くする名目でヴォルフの持ってきたワインを飲み干して入山を祝いました。


5月2日(土)

毛勝谷1540m…毛勝山2414m…釜谷山2415m…猫又山2378m…2220m


早朝は雪が硬くてシールでの登りは難しいと考え7:15テン場を出発しましたが思ったより柔らかくしばらくは苦労無く登り続けました。高度が増すと傾斜も増しますが11:00シールで2370mのコルに着きました。一休みして毛勝山山頂2414mを往復、我々の北方稜線の始まりです。北に続く北方稜線の山々と東側には後立山の山々が広がります。
コルから釜谷山2415mに向かいます。このあたりはシールでも何とか進めるのですが注意が必要。それから猫又山2378mを登り2220mまで滑り下ると大窓から剣につながる北方稜線と小窓尾根それに剣尾根、早月尾根、剣岳の西面の素晴らしい景色が広がるテラスに到着。今回は長丁場なので1日の行程をあまり無理をしないようにしましたので16:10風をよけられる窪みのできた斜面を削ってテントを張ることにしました。今日も好天に恵まれましたが時間が思っていたよりかかり、なんとか毛勝三山をクリアしました。


5月3日(日)

2220m…ブナクラ乗越1745m…赤谷山2260m…ブナクラ乗越1745m


ここからブナクラ乗越まで急斜面が続くので少し雪が緩んだ8:10に出発。しかし途中からスキーでは難しくなり担いでアイゼンに変えました。所々ロープを出しましたので時間がかかり乗越に到着したのは12:20、すでにいくつかのテントが張られ北方稜線の人気スポットをうかがわせます。
当初の予定ですと本日は大窓通過ですが1日遅れています。このまま重たい荷物にスキーを担いで大窓に進むと赤ハゲ白ハゲの細い稜線の通過にかなり時間を使ってしまいますし、それに今後の天候のことなども考えると最終目的地の剣岳は難しくなると考え、ルートを変更することを検討。そこでブナクラ谷の反対側にある折尾谷を下って小黒部谷に入り遡行して池ノ平のコルに向かうことにしました、と言えばもっともらしいのですが私が勝手にきめてしまった感が強くプレッシャーを感じながらも今まで滑る部分が少なかったので山スキーらしいルートとしての選択です。それに個人的に以前から小黒部谷を通過してみたいと思っていたのです。が、しかし小黒部谷は大窓に抜ける最上部を知っているだけで登ったことも下ったこともありませんし、今年の小雪ではどこまで谷が雪にうまっているのかが問題です。でもまだ4日分の装備はあるし難しければ引き返せばいいと思えば気は楽です。
とりあえず時間があるので赤谷山2260mに登ることにしました。乗越に荷物とスキーを置いて向かいます。山頂近くまで来ると知人の立山のガイド多賀谷さんのパーティーに会いました。山頂を往復してもどると彼らは折尾谷側の斜面を削ってテン場を作り始めていたのでブロックを組んだ我々のテントを張り終えてテン場作りを手伝いました。彼らの3張り分のスペースを削って作るのは大変ですが、まともに風の当たるさほど広くない乗越では仕方ありません。休んでいる人たちとヴォルフが会話を始め彼の流暢な日本語に話も弾んだようです。


5月4日(月)

ブナクラ乗越…折尾谷…小黒部谷出合770m…小黒部谷840m


快晴だった天候も高曇りに変わってきましたが予想より天気はよさそうです。朝食が終わると多賀谷さんからりんごにヨーグルトをかけたデザートとビールの差し入れがあり早速デザートを食べましたが今回の食事はどれも質素なので果物は唯一のご馳走に、ビールは今晩の夕食です。
毛勝に向かう多賀谷パーティーを見送って我々も6:50出発、折尾谷を滑り下ります。傾斜がゆるくなってきたとき前方に動く黒いものが、雪面から熊が這い出してきました。ちょっと緊張、向こうもしばらくこちらを見ていましたが多勢に無勢と見たのか離れてゆきました。 傾斜がゆるくなってもしばらくは滑ることができましたが高度1000mをすぎると徐々に難しくなってきました。小黒部谷出合までは雪が無いのは承知のことですが、上部は広いもののだんだん狭くなる折尾谷の兼用靴とスキーを担いでの下降はきつい。特に雪の重さで曲がった木々の間をスキーを担いで通るのは疲れますがここは辛抱辛抱。出合いに近づき急斜面を無理やり登って50mほど懸垂で下ると10:55小黒部谷出合い770mに降り立ちました。
小黒部谷は想像していたようにゴーロが広がっています。これはうまく行くと思って登り始めたのですがすぐ難しいことがわかりました。沢は広くても流れが蛇行していてところどころ渡渉をしなくては進めません。昨日多賀谷さんに谷の様子を聞いたのですが「まだ水量はそんなに多く無いよ、でも滝の通過が?」要は行ってみないと判らない。確かにそうだ。最初の左岸の渡渉部分は流れも深く早いのであきらめて高巻いて通過も考えたのですがスキーを担いでの木々の密生した尾根の通過はほとんど無理とわかりました。
進むのが難しいならあきらめるしかないか、と思いトロッコ列車の終点駅欅平に出ることにして少し下流にロープを出して兼用靴のまま渡渉して右岸に。靴を脱いで渡れるほど流れは甘くありません。しかし欅平へは古い鉱山道があるらしいのですがしばらくはスキーを担いでは簡単ではないことがわかりました。
でも一旦靴を濡らしてしまえば渡渉に躊躇はありません。右岸の壁沿いに登路を見つけるとまた小黒部谷を進む気持ちがむくむくと湧いてきました。壁を登って通過し数回ちょっと厳しい渡渉を繰り返すとだんだん渡渉が楽になってきました。15:30高度が880mあたりまで登ってテン場によさそうなところを見つけ泊まることに。
当初の予想に反してたいして進めていないのですがこれが現実。気持ちを切り替えて焚き火を囲んで濡れた靴のインナーや靴下を乾かしながら、ビールを飲まない大西夫妻を良いことに私だけビールつきの夕食を楽しみました。天候は予想に反してもうしばらくは持ちそうですし柔らかい砂の上で心地よく寝ることができました。


5月5日(火)

小黒部谷840m…大窓雪渓との出合い1540m


いよいよ小黒部谷の核心部に入ります。6:50出発、しばらくはゴーロ歩きと渡渉を繰り返しせっかく乾かした靴も水浸しです。標高が1100mをすぎたあたりから計10数回繰り返した渡渉も終わり流れも雪の下になりましたがゴルジュ帯にはいります。シールで登って行きますが部分的に厳しいところが出てき、とうとう落石とデブリに埋まったゴルジュにかなりの水が流れる滝が出てきました。ここはアイゼンに変えてまず左岸の雪の斜面を登り、厚さと幅が3mほどのスノーブリッジを渡って右岸の雪壁を登り通過することが出来ました。このスノーブリッジがなければ通過はまず無理だったので幸運でした。
滝を通過すると谷は開けてきて雪面が広がり一安心、なんとなく核心部は通過したようです。その後注意する部分もありましたが13:40大窓雪渓との出会い、計画当初通過を予定していた場所に到着しました。ここは何度となく来たところなのでほっとします。ここから池ノ平のコルまではまだ急斜面を登らなければなりませんが、疲れもたまっていたので早いのですがテントを張ることにしました。薄日がさしていた天候もどんよりしてきてテントに入ってお茶を沸かしているとぱらぱらと雨模様になってきました。このまま進んでいたら雨の中急斜面を登らなければならない事になったはずで幸運とまではゆきませんが安堵しました。結果的には時間を短縮するための小黒部谷遡行でしたが1日のつもりが2日掛かってしまい当初計画の稜線通しで大窓経由のほうが早かったようです。
5日間続いた晴れもとうとう終わりのようです。あまり食べるものは無いのですが近くの壁を流れる水が取れましたし温かい飲み物は十分でしたから気持ちは満たされました。


5月6日(水)

小黒部谷1540m…池ノ平コル2040m…二股1580m…剣沢小屋2520m


朝起きると雨は上がっていましたが上空は鉛色の雲が流れています。6:50降らないうちにと思い出発です。池ノ平のコルまでは急斜面なので最後は右に張り出している尾根に上がって9:00到着しました。10日位前?降った雪がまだ白く積もって時々ずるずると雪崩れるので注意してルートを選びました。コルには池ノ平小屋があるのですが小雪の今年なのに屋根が見当たりません。ここから二股まで下降。約500m登ってきて500m下ることになります。
9:40二股に到着、風が強いのか三ノ窓が雲で見え隠れしています。計画ですとこの先の真砂沢出合に進んで剣岳山頂に向かうはずでしたが、天候の悪さも加わってどうも登るモチベーションが高まりません。それに希さんは仕事の都合で7日中には東京に戻らなければならないので時間切れです。予定の帰路はハシゴ谷乗越から内蔵助平経由で黒四ダムでしたが剣沢小屋に向かうことにしました。やはり今までの疲れが3人を厚い雲のように包んでいるようです。
剣沢小屋までまだ1000m登らなければなりません。降りだした雨はやがて雪に変わりました。武蔵谷をすぎて小屋の近くまで来ているのになかなか発電機の音が聞こえてきません。もう閉まってしまったのかと思いながら登ってゆくと14:30昨年新築された剣沢小屋に到着しました。
小屋は明るく暖かく、まだお客さんも到着していないそうで早速濡れたインナーや衣類ロープなどを乾燥室に干しました。食料がまだ少しあるので素泊まりにしてもらい、お米が無くなったので分けてもらいたいとお願いしたところ無料でご飯を出してもらえました。小屋は佐伯友邦さんから息子さんの代に変わるようです。その後数人のガイドさんに連れられた日本山岳会の団体さんや他のガイドパーティがやってきて小屋はにぎわいましたが個人のパーティーは我々だけのようでした。


5月7日(水)

剣沢小屋2520m…剣御前小屋2750m…雷鳥沢…雷鳥荘2310m…室堂


未明ガイドパーティが剣岳に向かいましたが天候と雪の状態が悪いようで朝もどってきました。我々も同じようになったと思えばあきらめもつきますが、剣岳まで行けなかったのはやはり残念な気持ちになります。しかしこれが我々の実力なのです。 8:50雨が小降りになったので快適な小屋を後にして剣御前小屋に向かい雷鳥沢を滑り下って今回の山行を終了しました。途中雷鳥荘でお風呂に入り室堂到着は14:00でした。
7日間の山行でしたが終わってしまえば長くは感じませんでした。たぶん毎日毎日が精一杯だったからでしょう。スキーを使ってのコースとしてはちょっと疑問、スキーを使うなら剣岳から毛勝山でしたでしょう。しかし「北方稜線を剣岳目指して」が目標でしたから登りが多くてもスキーを使うのは我々山スキーヤーの心意気です。計画として完成はしませんでしたがやはり「面白かった」が3人の感想でした。

(村上 記)

稜線でなかった北方稜線


4月30日の夜行で東京を発ち、5月1日から入山、5月7日まで下界に下りることがない長い山スキー山行となりました。最後の2日は雨に降られたが、その前はずっと好天続き、北方稜線のすばらしい景観を見ながらの稜線歩きは忘れられない思い出となりました。しかし思わぬハプニングも続出、私の技術不足でルートを変更、そしてランドネでもまだ記録がない未知のルートを行くことになり、苦労も多かっただけに、充実した達成感に満ちた思い出深い山行となりました。
夜行電車の中では、今年は雪も少なそうだし、かなり上までタクシーで入ることができたら初日に毛勝山頂に登れるのではないか、と大いに勢い込んで話していた。今回のルートの前半部分は、2年前に悪天続きで毛勝の山頂までもたどり着かなかった山行のリベンジである。ところが初日からハプニング続き。まずはヴォルフが前日一生懸命作って冷凍庫に入れておいたスパゲッティーソースを忘れてきて、途中のコンビ二に寄ってレトルトを購入。ゲートが開いていなかったため、予想を大きくはずれてずいぶん手前でタクシーを降ろされてしまう。そしてスキーをかついで林道を歩いている最中、ヴォルフが沢にブーツを落として探しに戻る等、結局初日の毛勝登頂はあきらめ、途中に気持ちのいいテン場を見つけて初日の1泊となる。普通のゴールデンウィークより1日早く出たためか、本当に静かな山を満喫することができた。2日目は好天の中、毛勝登頂、毛勝三山を越え、ブナクラ乗越に行く少し手前、剣岳が目の前に大きく見える素晴らしい自然のテン場を見つけて2泊目となる。ここは前の月に「山と渓谷」に大きく写真が出ていたスポットでもあったが、やはり本物にはかなうものはない。


ブナクラ乗越の少し手前のテント場(2泊目)

3日目に大きな番狂わせが訪れる。その原因を作ったのは自分だった。1時間もあればブナクラ乗越にたどり着けるかと思っていたが、急な斜面で荷物も重いためバランスが悪く、スキーで滑らずにロープを出してもらう部分が続出、ブナクラ乗越到着が大幅に遅れてしまった。この日は赤谷山をピストンし、ブナクラ乗越に1泊して、ここでルート変更し、稜線ではなく小黒部谷を行くことになった。
翌日は梶尾谷を下ることになる。偶然会った村上さんの知り合いのガイドさん(映画「点の記」の山岳監督さんで映画にも出てくる。)が朝食のデザートにりんごにヨーグルトをかけたものを持ってきてくれた。質素な長旅の途中のすばらしいご馳走だった。町では何ということもないデザートだろうが山では大きな思い出となる。梶尾谷の下りは非常に快適だったが、それも20分間。その後はスキーを担いで小黒部谷を目指す。スキーを担いでの藪漕ぎ、懸垂下降、徒渉すること数え切れぬほど・・・・小黒部谷に入ってからは、沢登りに来たのだか山スキーなのか、自分でも忘れることがあるほどであった。4泊目は沢の中、焚き火をしながら心地よいテント泊となる。
この日、私のリュックサック(Osprey Ariel 75)のショルダーハーネスが破け始めた。スキーを付けた時の重さに耐えられなかったようたが、一応75 Lサイズなのに意外と脆いのには驚いた。ここで完全に壊れたらやっかいである。テープでぐるぐる巻きにして補強した。


小黒部谷のテント場(4泊目)

5日目、歩き始めてすぐに、残念なことに焚き火で乾かしたブーツのインナーを濡らさなければならないことになる。また渡渉続きである。しかし一度濡らしてしまうと、どうでもよくなるものである。この日は更にスノーブリッジを越えるなど私としてはドキドキする箇所が続く。やっと雪が続くところに出た時は本当にほっとした。このスノーブリッジがなくなっていたら引き返すしかなかったことを考えると、本当に運がよかった。この日は大窓の下で早めにテントを張る。稜線から降りてくるコースとやっと合流したことになる。昼からは雨になる。


小黒部谷の渡渉


インナーの乾燥

6日目は池の平を越えて反対側、剣沢に出る。雨が止んだかと思いきや、剣沢の中、真砂沢との合流地点辺りで本降りとなる。そして濡れた上に高度が上がると雪になり、この日はきつかった。新しくなった剣沢小屋に入った時は本当に生き返るようであった。
7日目、雨が上がるのを待ったが、なかなか止みそうにないので出発。立山を越えて扇沢の方に降りる案もあったが、室堂から富山に下ることにした。私としては剣岳の南側まで歩きたいと思っていたのでここまで来れた事で大満足であった。途中雷鳥荘で久々の温泉に入り、幸せに浸った・・・・・

テント山行には慣れているつもりだったし、軽量化に努めたつもりでもあったが、さすがに6日分の食事や燃料、そしてそのリュックにスキーを付けて担ぐのはかなり厳しく、午前中は勢いがあっても午後になると歩みは亀のようになってしまった。今回の山行を振り返って、自分の体力、もしくは軽量パッキング技術の不足(両方かもしれないし、どちらかかもしれない)、険しいところでの登山技術の不足などを切実に感じた。来シーズンの課題です。また、この未知のルートを2人の重荷を引き連れて歩いてくれたリーダーに本当に感謝しています。なかなかできない経験を一緒にさせてもらえて良かったと思っています。楽しく思い出に残る山行、また行くか?と聞かれたら、腕を磨いて絶対に再挑戦します!

(大西し 記)


ルート図