2010年12月 志賀高原初滑り 山行報告

予報に反し、思ったより雪が少なかったのですが、決行しました。
初日は奥志賀の上の方のリフトが動いておらず、バスで焼額に移動、小雪の中、焼額、一ノ瀬と滑り、最後は焼額の上から奥志賀に回り込んで宿に戻りました。
2日目は、朝から快晴。熊ノ湯に車で移動し、熊ノ湯、横手山を滑り、車ごとに帰路につきました。降雪はなかったものの乾いたそんなに固くない雪で快適でした。



皆さんも注意しましょう:初滑り雪道事故顛末報告

 10時半ごろに宿に着くとランドネの皆さんはスキーに出かけていない。皆さんは奥志賀が雪不足でまだ焼額まで通じていないのでバスで移動したという宿の方のお話。部屋に荷物を置き、われわれ(Sさんと2人)はバス時間を見るとまだ30分もあるので一ノ瀬まで車で移動した。携帯が通じず「ファミリイ」も「ダイヤモンド」「焼額」も探したが見当たらない。「ダイヤモンド」の食堂前で会ったが皆さんは食事を終えたということで別れ、食事した後どこかでまた会うだろうと4時まで滑り、宿に戻ることにした。
 道路は雪道だがすいているしスタッドレスタイヤがよく食い込んでくれ抑えたスピードで走っているので何の心配もない。奥志賀ゴンドラ駅前バス停200メートル位手前に来た時、対向車の乗り合いバスが停まって道を譲ってくれた。そんなに広くない道だが左側も道路の端からそのまま段差なく雪がかぶっているだけの所だ。ありがとうございますとバスと50センチほど空け減速して進んだら、ガタン!ガタガタ!と溝に脱輪してしまったのだ。
 「えっ!」と降りて見ると左の前後輪とも溝の中。前輪の先は雪を踏んだら溝の中に落ちるが後輪の後ろは雪が落ちないので溝蓋がありそうだ。「なんてこった!」と思うが脱出を試みるのが先だ。落ちた前輪の前の雪を踏みつけ坂にして踏み上がろうとし始めたら、悪いと思ったのでしょう、バスの運転手が車止めの木を提供してくださる。でも空回りで動かない。停留所に停まっていたバスの運転手も引っ張りましょうとバスのチェーンを持ってくる。マイカーのワイヤー掛にチェーンを引っ掛けてバスのバックで引き上げようとしてくれた。ガガーといってチェーンが外れる。JAFに頼むのがいいなと思ったが、近くの人や通りかかった多くの人たちがいろいろしてくださる。ありがたいし心が温かくなる。    排気ガスを利用したジャッキアップの袋を持ってきて車の下にもぐりこみセットしてくださるがダメ。ワイヤーで引いてくださる大型の乗用車。除雪車が来てくれ「バンパーとかが傷むかもしれないが引き上げようか、以前にやった時はちょっと壊れたけどね。」と真顔でおっしゃる。丁重にお断りして、JAFに電話する。「今日は申し込みが込んでいて1時間半ほどお待ちください。」とのこと。仕方ない、宿のリーダーに連絡し、現場で待つことにする。
 幸い、マイカーにはエンジンOFFでもヒーターがつくので寒さはないが空腹と乾きを覚える。近くのホテルへいって菓子とホットコーヒーを買った。脱輪のことをいうと「あそこは何回もやっているのだが未だ直さないね。」と店の人が言う。そういえば集まってくれた人の中にも「この前と同じ所だね。」という人もいた。
  脱輪が4時20分。JAFに電話したのが5時。6時40分に「遅れる」の電話があり来たのが7時。「一の瀬にいたのだが鍵穴が凍っているのを溶かすのに時間がかかってしまって、誠にすみません。今日の処理は14・5件目ですが脱輪の方は3件目です。」
 JAFの乗用車から取り出したのは2枚の板切れ。前輪の前に一枚は少し斜めに置き2枚目は上がってきたタイヤが右にずれ道路に乗るように交差して置く。ワイヤーで両車を繋ぎ両車ともエンジンをかけゆっくり上がるだけ。後輪も同様でかかった時間は十分ほど。
  結局、脱輪してから再び動くまで3時間ほどかかってしまいました。車にも何の傷もなかったのですが、宿でランドネの皆さんにご心配をかけたり、多くの人のお世話になってしまいました。

教訓
@ 知らない不慣れな道では、譲られても、遠慮して譲り返すこと。相手は危険と思って譲ったのだから。
A プロ(JAF)に任せるのが1番。プロ(JAF)にとって事故者はお客様。技術も接客術も1番。

(潟見 記)