2018年 3月 カムチャッカ個人山行

カムチャッカ山スキーの旅

日程:2018年3月20日(日)~29日(火)
メンバー:ロシア側ガイド、グリゴリー・ミンツェフ;日本側ガイド、チャック・オールベリ;井上(ランドネ、GPS記録);直井(元ランドネ);濱崎(北海道);小見山(モンブランクラブ);木津(ミズナラ山の会);安仁屋(元ランドネ、報告)

経緯:最初はグリーンランドに行く計画であったが、人数が集まらなくてキャンセル。それで井上さんとチャックの相談でカムチャッカの案が浮上。当初行く積もりの何人かはさまざまな理由で参加見送り、結局5人で行くことになった。が、出発1ヶ月前に小見山さんの勧誘でもう一人(木津)が加わり、最終的に6人となった。

 ロシアのガイドGrigory Mintsevは39 才と若いが、スキー・登山ガイド会社Skiing in Kamchatkaの代表である。フランス・シャモニーに住んでいるが、主にコーカサス、カムチャッカでガイドをしているそうだ。日本にも5回来たことがあり、十勝、白銀荘などもよく知っている。2月の十勝岳にも登ったそうだ。Chuck Olberyは富良野に住んで16年目のオーストラリア人のガイドで、Hokkaido Power Guideという会社を日本人の奥さんと運営している。来た当初、富良野の三浦さんに地元の山スキーを案内してもらったので、北海道在住の井上さん、濱崎さんなどとも交流があり、カナダ、アラスカ、ノルウェイなどのガイドを務めた経験がある。

3月20日(火) ウラディオストック

成田発(S7566、15:35)- ウラディオストック着(18:30、+1時間の時差)? ホテル・ゼムチュジーナ着(20:10頃)

 シベリア航空のカウンターで各自がチェックインして搭乗口で集合。航空機材はA320だが、エンターテイメントの類は一切無し。機内食の酷さと相まってやはりロシアかという、自分の偏見に納得。機内誌は基本的にロシア語のみ。2時間弱の短いフライト路線であるが、一応国際線なのに!夕闇せまる頃に到着。ネット情報の通り空港に両替所はない。天気は良く、冷えている。2台のタクシーでホテルへ向かう。
 私が乗ったのは30後半?40前半ぐらいの女性ドライバー(オルガ)の車であった。たまたま私は助手席に座ったが、彼女は話し好きで、英語で話しかけてきた。私たちがスキーに来たと言ったら、私はジェットスキーをやる、それで世界のいろいろな所に行ったことがあるとのこと(それで英語を喋る)。しかも、世界一だと言う(しかし、後日ネットで見たが、彼女の名前は見つけられなかった)。つい前日スペインでの大会から帰ってきたばかりだそうだ。ギリシャ、ペルー、タイなどにも試合で行ったことがあるという。日本は?と聞いたら、大会がないのでないという。
 ホテルは空港から約40km、夕暮れ時に着いた。ライトアップがきれいで第一印象は美しい町だ。金角湾に架かる金角橋(Golden Horn Bridge)のライトアップはひときわ美しい。
 ホテルではWiFiの接続がややこしく、携帯の電話番号を入力しないとダメと言われる。私はPCを接続することができなかった。個人の電話をモニターするのだろうか?偏見を強化する第2弾。夕食はチャックがネットで調べていた鉄道の駅近くの店に行く。ロシア・ビールを飲みながら、サラダ、チキンを皆でシェアーする。ビールは結構行けた。ホテルの部屋は狭く、温度の調整ができなく暑かった。自分の好みにできないのがロシアらしいか!偏見第3弾。
 町で見る車の99%は日本製である。トヨタが圧倒的に多い。しかも、日本から直輸入の右ハンドルが多い(右側通行である)。ドイツ車はほとんど見ないので、なぜかとオルガに聞いたら、ドイツの車はすぐ壊れるから、と言った。本当?と思いつつ、ひょっとしたらソ連は第二次世界大戦の初期にドイツに痛めつけられているから国民の心情としてドイツ製は嫌っているのかな、とも思った。

3月21日(水) ウラディオストック:快晴

ウラディオストック滞在(観光)

 朝起きたら快晴、気温は-13℃とのこと。朝食に下りていったら、金を払えと言う。ホテル代に含まれているはずだと言っても聞かない。井上さんが取り敢えず全員分を支払う。その後、ホテルの不手際であることが判明。コーヒーとジュースの酷さに驚く。
 独自に事前に調べて観光予定を作っていた直井さんを除く6人は午後からオルガの車で観光することにして、午前中は町の中心街を歩いて観光することにする。気温が低い上に風があり寒い。歩道は4-5日前に降った雪が所々かちんかちんに氷っていて滑るので危ない。まず、ホテルから10分足らずのレーニン像と鉄道のウラディオストック駅に行く。この駅はシベリア横断鉄道の東の起点である。1915年に建設されたしゃれたデザインの駅舎である。駅の待合室に入るのに持ち物のX線検査がある。構内を歩く順序も決まっており、戻ろうとしたらダメと言われた。
 町の中心広場を経て海軍記念碑の前にある潜水艦博物館へ行った。なんと第二次世界大戦に使った本物の潜水艦(C56)の中を改造したもので、本物の魚雷が展示してある。このような狭い空間で長期間過ごすのは大変だと思った。鷹巣展望台には、我々以外に中国人の観光客が15人ぐらいいた。ここからの金角湾、金角橋、港、ダウンタウンの景色は素晴らしい。湾のすぐ外に白い帯が見えるが、海氷である(写真1)。
 昼食はぶらぶら歩き、ロシア料理を求めて地元の人が入るレストランを探した。なかなか美味しい。ホテルへは湾の反対側のプロムナードがあるビーチを経由して2時前に帰る。海氷が詰まっており、ところどころで氷に穴を開けて釣りをしている。結構遠いところにもぽつんぽつんと黒い点が見える。
 帰るとオルガがすでに来ていた。行き掛かり上、私が助手席に座り、おしゃべりの相手をする。金角橋を渡る。この橋は5年前に開通したばかりで、対岸は大規模な開発が進行中である。 ここを過ぎてやはり6年前に完成した橋を渡ってルースキー島(Russkiy Island)へ行く。すぐにFar Eastern Federal Universityの新しいキャンパスが現れる。この大学はWikipediaによると学生3万5千ぐらいでロシアのトップ5に入る名門大学とのこと。橋の完成によってここに移転したそうだ。過ぎて右折するとデッドエンドに小船のランプがある。金角湾と中心街が正面に見える。最後に島の南端が見える所まで行き、ホテルへは16:30頃戻る。
 夕食は彼女が奨め、予約してくれた‘Zuma’ に歩いて行った。明日早朝に発つので5時半頃と早めであった。外見はそれ程ではないが、中は素晴らしい。ビールと共に各自が好きな物を注文してシェアした。ホテルには8時前に帰り、明日の早立ち(1 AM)の準備をする。

写真1:鷹巣展望台から見る金角橋(木津撮影)

3月22日(木) カムチャッキー:快晴

ウラディオストック発(3:55)- ペトロパブロフスク=カムチャッキー着(9:00)- ホテル着(10:05)

 午前1時にホテルのロビーに集結。2台のタクシーに分乗する。1台はオルガの車である。彼女はロシア製のチョコレートの差し入れを持って来てくれた。
 空港到着午前2時。ターミナルに入るのにX線チェックを通る。チェックインしてゲート口へ行くのに2回目のX線チェック。思ったよりもうるさくない(むしろ日本よりいい加減?)。30人程度待っている。カムチャッカへ行く便は午前4時前に離陸。約3時間のフライトだ。時計の針を2時間進める(日本とは+3時間の時差)。5時頃朝食が出る。内容はまあまあだったが、プラスティックのナイフ、フォーク、スプーンが見たこともないくらい小さなもので驚いた(通常の半分以下)。倹約しているのだろうか。
 ペトロパブロフスク=カムチャッキー(Petropavlovsk = Kamchatsky, 以下PKと記す)へは9時前に着陸。気温は-15℃とのこと。到着直前に我々が行く予定のKoryaksky火山(3456 m)とAvachinsky火山(2741m)が見えた(以下、K火山、A火山、写真2)。出たところでロシア側のガイド、グリゴリー(あるいはグレゴリー)に会う。2台のタクシーで中心街外れにあるホテルへ10時過ぎに到着。顔写真、VISA、入国証に加えてパスポートの出入国のスタンプがある全ページをコピーするので時間がかかる。当に情報収集である。やはりロシアかという偏見を助長する。ここでのWiFi接続は他と同じでホテルのパスワードを入れるだけでつながった。山小屋での食料の買い出しをするガイドに、酒(ビールとワイン)の買い出しも依頼する。
 昼食は歩いて中心街へ行き、地元の人向けのカフェテリアへ入る。メニューに英語があったが、写真がないのでどれを指すか分からない。適当に遠くにある現物を指して注文する。安い。味はそれなりである。
 昼食後、独自に歩く直井さんを除いた6人はすぐ側にある博物館へ行く(入場料150ルーブル)。 係員の一人(英語を喋る)が説明につき、民族等の説明をしてくれた。展示品は思ったよりも豊で楽しんだ。ロシアの海洋探検家ベーリングの船の大砲(1733年)が展示してあり、自由に触れることができた。
 夕食に出かける前に、木津さんが日本から持ってきた八海山、井上さん得意の98度のウォッカを飲みながら歓談する。ガイドに勧められたレストラン「Kamchatka」へ行く。典型的な観光客相手の店だ。予期せぬことに、注文はタブレットで行う。メニューはロシア語、英語に加えて中国語がある。改めて中国との結びつきの強さを実感する。結局、操作に時間がかかり注文に30分もかかってしまった。雰囲気は良く、料理も美味しかった。

写真2:左がコリヤクスキー火山、右がアヴァンチスキー火山、下がPKの町。海氷が漂っている。小屋は両火山の鞍部より少し下にある(安仁屋撮影)

3月23日(金) アバチンスキー小屋:快晴

PK(ホテル)発(8:10頃) - アバチンスキー小屋(着10:00、発12:30) - A火山斜面1600m (15:45~16:10)- 小屋着(16:55頃)

 山小屋に着いてからすぐにスキーをする予定なので、スキーの服装で8時過ぎ、2台の車で出発。山小屋での食事のためにルドルフという若いコックが同行する。8:50頃、雪上車への乗り換え地点に到着。新潟にある大原鉄工所の1987年製である。  
 かなりのスピードで岳樺の林を走り抜け、K火山とA火山の間にあるアバチンスキー小屋へは10時頃着いた(図1)。標高870mぐらいである。600mから上では植生は皆無である。行く前、山小屋と聞いていたので、なんとなくヨーロッパのオートルートで泊まったような建物をイメージしていたが、我々が泊まる所は、長方形の箱で、中は2段のバンク・ベッドが5つと薪ストーブ、小さなダイニング・テーブルがある狭い作りであった。寝具は封筒型の寝袋である。幾つかのこのような小屋に加えて、大きな共通の食堂小屋がある。トイレは共同で20m位離れており、周辺は凍っているので足下に細心の注意が必要である。夜中のトイレが厳しい(写真3)。
 食堂小屋で昼食を摂った後、12時半頃A火山の山腹を目がけて出発する。青空であるが風が冷たい。スノーモビルの跡がある傾斜の緩い斜面を登ると上にも小屋群があった。ボウル状の斜面を目がけて登る。雪の状態は、硬い、クラスト、柔らかい、ところころと変わる。
 15:45頃、標高1600m程度の所でシールを外す(写真4)。出だしの雪は少しクラストしていたが、すぐに柔らかくなり斜面の傾斜も手頃でトラックを並べて、山スキーの醍醐味を満喫する。これだけでも来た甲斐があったと満足の声が上がった(写真5)。
 小屋には5時前に帰着。美味しい魚スープと燻製サーモン・クリームチーズを載せたカナッペが待っていた。夕食はソーセージとポテトのソテーで、これまた美味しかった。ルドルフはなかなかの腕前のコックである。多くの場合、現地ガイドが食事も作るとのことであるが、今回グリゴリーはガイドに専念するためにコックを連れてきた、と言う。正解である。
 夕食の後、小屋に戻るため外に出ると満点の星空で、下を見るとPKからイェリゾボにかけての町の明かりが帯状にきれいである。思っていたより明るい。

3月24日(土) A火山:快晴

小屋発(10:00) - A火山頂上間近~2100m(15:35頃~16:05)- 小屋着(17:05)

 K火山とPKを隔てた対岸にある山々のモルゲンロートが美しい。朝食は8時から。ミューズリとロシア・パンケーキである。通常のヨーグルトに加えて、やや緩く少し酸っぱいロシア・ヨーグルトもある(日本の飲むヨーグルト少し濃くして酸っぱくした感じ)。出かける前に各自で昼飯を作る。具はソーセージ、サラミ、チーズ、サーモン、オヒョウなどで、バンに挟んでサンドイッチにするか、あるいはピータパンに載せてラップにする。飲み物は各自である。これに行動食としてMars, Snickers, marble chocolate, etcが入った袋がある。
 今日の目標はA火山の尾根の上に僅かに黒く見えるピナクルを目指すとの説明があり、10時頃出発。どれくらいの時間がかかるかとの質問に、グリゴリーは2時間半ぐらいと答えた。ぱっと見ではそれ程遠くには見えなかった。が、行けども行けども近づかず、結局5時間以上かかり、シールを外したのは3時半頃、標高約2100mの尾根の上だった(写真6)。最初の3時間はゆっくりではあるが休みなしで動いたので、脚に変調をきたした人もいた。
 ガイド2人で滑り降りるコースのアセスを慎重にした4時過ぎ、まずチャックが滑り、雪と斜面を確認する。出だしは雪が硬く雪面の凹凸が激しいが、トラバースして柔らかい雪の斜面を見つける。その後、悪い斜面はグリゴリーが先導し、トレインで慎重にトラバースの起点まで降りた。この後は、チャックのトレースの側の斜面を思い思いに滑る。下部は左への長いトラバースで小屋へ戻る斜面に戻る。小屋着は5時過ぎで、1時間の滑りであった。
 チキンスープとトナカイ肉のサラミとキュウリが載ったカナッペが疲れた身体に染み渡って行った。夕食は脂の乗った焼きオヒョウと温野菜で美味しく、ワイン(因みに、チリ産でロシアでも人気)と共に堪能した。

写真6:コリヤクスキー火山をバックに(グリゴリー撮影)

3月25日(日) コリヤクスキー火山:晴れ後快晴

小屋発(9:05)-コリヤクスキー火山斜面前面(~1400m、12:00~13:10)-小屋着(13:55)

 今日はK火山の麓を目指して、9時過ぎに出発。薄日であるが風が無いのでまもなく暑くなる。雪は少なく石が結構ごろごろしていて、北海道の十勝岳みたいである。雪面を縫って登るが、雪は結構硬く、氷化している箇所もあり、今回初めてクトーをつける。12時頃、標高1400mを過ぎた所で雪面が少なくなり、我々を待たせてガイド2人が下の谷へ降りるルートを偵察に出る。結局、ルートは歩行アイゼンなしでは危険なので(因みに前2日は持ち歩いたが使わなかった。皮肉にも今日は持ってこなかった)、ここから滑り降りることにして昼食とする。グリゴリーの話では1-2月のコンディションと同じとのこと。この頃には太陽も燦々と照り暖かく風もないので、北海道の4-5月のようだな、と話しながら食べる。
 1時過ぎに滑り始める。出だしは傾斜は緩いが氷なので慎重に横滑りで雪の所まで降りた。傾斜が緩く硬い雪の上に柔らかい雪が数センチ載っている斜面で思い思いに滑り降りる。1箇所やや傾斜のある斜面で皆楽しんだ。小屋には2時前に帰着。今日は4時過ぎからサウナをやる予定であるが、それまで時間があるので、グリゴリーがカムチャッカのスライドを見せてくれた。その中で、カムチャッカの西岸を冬に行く(氷が張っているので通れる)、6輪駆動のトラックの動画は迫力があった。
 4時過ぎにサウナの準備ができた。とても気持ちが良く、さっぱりとした。夕食はチキンのソース煮とご飯、ギリシャ・サラダで美味しかった。ルドルフは腕の良いコックで毎日の食事を楽しんだ。

3月26日(月) パラトゥンカ谷の山:晴れ

アヴァンチスキー小屋発(9:20)- イェリゾボのスーパーマーケット(10:35~11:30) - パラトゥンカ谷の山(ミキジンスキー山?12:40~16:20)- ホテル着 (Hotel Bel-Kam Tour, 16:55)

 天気は下り坂か?薄曇りでA火山には笠雲が、K火山には筋雲が懸かっている。今日は午後、ホテルに入る前に近くの山で滑るため、スキーの服装で出発する。迎えの雪上車2台が9時頃到着。荷物を積んで9:20頃出発した。下りは早い。標高差800m程度ある車への乗り換え地点には10時前に着いてしまった。
 途中、イェリゾボという大きな町のスーパーマーケットWAMCAへ寄り、町には両替屋がないためATMで現金化した後、お土産を買う(チョコレートが多い)。
 幹線道路から枝道路に入りどん詰まりの所から登る(12:40頃)。ソ連時代のリゾート施設の名残がそこここにある。周りは樺林で日本、特に北海道と雰囲気が同じである(写真7.後日、グリゴリーがDropboxで写真を送ってきたが、boxのタイトルをKamkkaidoともじっていた。私はKamchakkaidoの方がいいのでは?と思った)。積雪は2.5mぐらいだという。目指す山は標高570m程度で、滑った跡がそこここにあり、ポピュラーな山であることが分かる。頂上下から左の稜線へトラバースして滑り降りたが、標高が低く気温が高いので雪は悪く、あまり楽しめなかった。
 ホテルまでは車で20分足らずであった。温泉プール付きの立派なリゾート・ホテルである。パスポートのコピーはやはり全ページ取られた。このホテルでのWiFi接続は電話番号の入力が必要であったが、問題なくできた。トゥインベッドの部屋はまあまあの広さでTVが付いているが、ベッドランプや時計などは付いていない。因みにTVは液晶(韓国製LG)であるがアナログ放送なのか、画面は粗く見づらい。水着を着て備えつけのバスローブで屋外のプールへ行く。湯槽は3つある。一番大きいのは15mx10mぐらいである。水深は深く身長172cmの私で丁度首のところである。ヨーロッパからの先客がいて、驚いたことに大勢が瓶ビールを飲んでいる。日本では湯槽での飲酒は禁止されている所が多い。湯温は体温とほぼ同じ36℃で長湯ができる。因みに温泉の成分表はなかった。
 夕食はホテルのレストランで摂る。各自が好きなものを頼み、シェアする。我々に加えてスイスの会社のヘリスキー客が40名ぐらいいた。24名乗りの大型ヘリで行くとのこと。

写真7:570m ピークへの登り。Kamkkaidoの景観(井上撮影)

3月27日(火) 中央の谷沿いの山:薄曇り

小雪;ホテル発(8:17)中央の谷沿いの山(11:00~15:20)-ホテル着(17:10)

 朝、鳴る筈の目覚しが鳴らない。小見山さんの目覚しで飛び起きる。なんと7時だ。7時半朝食、8時に出発予定の朝にだ。時計の時間が昨日合わせたのと違う。2日後に判明したのだが、ディジタルの電子時計なので勝手に日本時間に合わせていたからだ。普段はアナログの時計を持ち歩くが今回は何かの弾みでディジタル時計を持って来てしまった。まさかこんな事になるとは想像もしなかった。注意が必要である。予定より少し遅れて出発。今日は遠出で登る山の候補が2つあり、雪の状態を見て決めるという。イェリゾボから北西-南西へと行く道をとり最初の候補地をチェックする。良くないと言って、次の候補地、中央の谷の山を目がけていく。途中、車客相手の店が並ぶところで、パイが美味しいという店に入る。
 外に出たら小雪がちらついていた。 10時半頃、目指す山の麓付近で停車、標高は200mぐらい。シールを貼り、昼飯を作って出発の準備をする。グリゴリーがハム、チーズその他昼飯の具を入れてきたクーラーにピックで開けたような穴が幾つか並んでいる。グリズリーの爪痕だそうだ。
 目指す山は標高570m位で、11時頃歩き始める。暑い。周りの地形、植生などの景観は全く北海道と同じである。雪は良い。途中470m位のピークを過ぎる時、一時的に小雪がちらつき冷たい風が吹く。570mのピークには12:50頃着いた。眼下の谷には来た道路と蛇行している川が見える。両側は標高500~700m位の山が連なっている(写真8)。
 昼食後、登ってきた尾根の脇へ滑り出す。雪は良いが急斜面だ。470mのピークを目がけて登り返す。14:40に到着。3時過ぎに滑り出し、車には15:20に着いた。雪は良かった。ホテルには5時過ぎに帰着。
 温泉プールに行く前にビールとワインで喉の渇きを癒す。温泉ではスイスの会社の手配で来たグループと交歓する。聞いただけでもツェルマット、ウィーン、サルツブルグなどいろいろなところから来ている。ヘリスキーかと聞いたら、歩いて登ると言っていた。
 ホテルのレストランでの夕食は、魚スープ、サラダ、そして各自好きなメインディッシュを取る。デザートはアイスクリーム 。それぞれ美味しいが、魚スープは山でルドルフが作ったやつの方が美味しいということで意見が一致した。

写真8:雄大な中央の谷を見下ろす。左の三角形の山は26日に行った山(安仁屋撮影)

3月28日(水) 近くの小山:曇り

ホテル発(9:15)-近くの小山(9:50~14:00)-ホテル着(14:12)-PK(16:00~19:45)-ホテル着(20:30)

 朝、時計を見たらやはり昨晩合わせたのと違う。小見山さんの時間を調整した携帯目覚ましで起きる。どんよりとした曇り空である。改めて、アヴァチンスキー小屋にいた時の天気の運の良さに感謝する。
 今日は近くの山に行き、午後2時頃には戻り、PKにショッピングとグリゴリーを交えた最後の夕飯に行く予定で行動する。9:15に出発。7分後に道路から外れた除雪車両置き場みたいな広場で降りる。標高は70mぐらい。暖かい。9:50頃出発。雪はクラストしていて重たい。日本と同じような樺林の中をしばらく歩く。570mのピークには12時半頃到着。昼食にする。
 1時15分頃から滑り降りるが、雪は一般に硬く重たくてクラストしており最悪であった。溜まった疲れもあって、私は何回か転んだ。 ホテル帰着は予定通り2時過ぎであった。
 シャワーを浴び、少しゆっくりして3時半にタクシーでPKへ出発。まずスーパーマーケットWAMCAへ行き、土産を買い足す。仲間の一人が現金で払おうとしたらカードでないとダメだと言われた。ここには数種類の生ビールをプラスティックボトル(1.5L)にその場で入れる量り売りの設備がある。物珍しいので帰ってから温泉プールで飲む為に2つ購入する。3Lで日本円にして約700円と、安い。その後、グリゴリーの案内でアウトドアショップに行く。山の小屋で使っていた2重のチタン製のボウルを捜したがなかった。井上さんが北海道仕様のダウンのミトンを購入した。かなり安い。
 夕食は町の中心部にある新しい建物に入っている’Da Vinci’というイタリアン・レストランである。とてもしゃれている。働いている若い女性達は皆、人形のような美人である。イケメン・ウェイターもいる。カニサラダ、トナカイ肉スープ、ムース(へらじか)のステーキなどを堪能した。他の客はいかにも金持ちという感じの上品なロシア人である。グリゴリーは彼の会社の大小2つのステッカー、Skiing in Kamchatkaを土産として呉れた。ホテルには8時半頃帰着。チャック・井上・濱崎・木津の4人はビールを持って温泉プールへ。賑やかであった。他は疲れと明日の荷造りでパス。

3月29日(木) 帰国:曇り

ホテル発(7:45)-ペトロパブロフスク=カムチャッキー発(10:00) - ウラディオストック(着11:10、発13:30) - 成田着(14:25)

 帰国の朝、起るとどんよりとした曇り空で雪がうっすらと(2~3cm?)積っている。寒い。滞在中、本当に天気に恵まれたことを改めて実感する。7:45に空港へ向けて出発。
 空港へは8:20に到着。車はなんと出発建物に横付けできない。遠くに止めて建物に入るには雪の積もった広場を距離にして40mぐらい荷物を担ぐか引っ張って行かなければならない。気温がマイナス15~20℃の吹雪の日には大変だろうなと思った。建物に入るとすぐにX線検査があり、ここを抜けてカウンターに行く。しかし、なぜか混乱していて何回も通された。この後も荷物検査を受けた。ようやく入ったロビーでカムチャッカの英語の地図を売っていたので購入。カムチャッカの火山がテーマのカレンダーも買った。空港から外を見ると視界はほとんど効かない。もちろんK火山は見えない。
 バスに乗って飛行機の搭乗口へ行く。霧雨が降っている。便(S73212)はガラガラである。乗客が少ないので9時半頃までに出発の準備はできたが、時間通り9:50まで待って動き出した。ロシアらしい? 離陸して間もなく飲み物と機内食がでるが、食前の飲み物は水、リンゴジュース、オレンジジュースの3つのみ。食事は魚とチキンのどちらがいいかと聞かれ、魚と答えたが、開けてみるとチキンであった。
 樺太南部を横切って、ウラディオストックには現地時間で11時過ぎに着いた(約3時間の飛行)。 国際線への乗り継ぎ客は我々のみであった。 国際線の出発ロビーには土産物屋がいくつかあり、最後の買い物をする。成田便は満席であった。1時半頃離陸、新潟上空を抜けて成田には2時半前に着陸(約2時間の飛行)。飛行場の周りの桜が満開なのには驚いた。気温はなんと24度だという。冬から夏へひとっ飛びであった。オーストラリア人のチャックは入国に時間がかかっているが、他は3時頃荷物を受け取り、それぞれ帰宅についた。
 エキゾティック?な山スキーの旅はこうして病気・事故・トラブル全くなしで無事に終了した。天気に恵まれ、仲間に恵まれ、ガイドに恵まれ、雪もそれなりに恵まれ楽しい旅だった。
(安仁屋 記)

(井上感想)
 初めてのロシアで、大昔の共産国中国での経験から宿、店・人々の対応などには全く期待してなかったが、予想外に良い印象であった。ルーブル安で食事、物価が円換算で安いこともある。
 経由地のウラジオストックは日本から近く(2時間半)、趣のある街で、機会があればまた行ってみたい。一方、カムチャッカはウラジオストックから3時間半、まさにロシアの極東である。人口約32万人で厳冬期には航空機だけが人、物資の輸送手段と思う。その割には、ペトロパブロフスク・カムチャッキー(人口約20万人?)は日本の同程度の都市並みに種々整っている印象であった。
 雪質は北海道と比べることはできないが、雄大な景色は他にないものである。周りは活火山だらけである。これまでチャックと行ったカナダ、アラスカ、ノルウェーなども雪質以外の景色、人々、食事などを楽しんだが今回も同じく楽しめた。もちろん良き仲間が一緒だったからでもある。